
主題以上のもの

集油所 1セパレーターは径1m高さ3m以上鉄槽

笠上神社:石燈籠

兎が乗った石灯籠

15個の石膏

石燈籠の台石 12
うずく上海の癌 : 石鹸もマッチも畳も風呂桶も 凡ての物が投機の材料 : ●積
我軍の上海引揚げ : 出るも引くも早い方がよい

山鹿灯籠まつり 上がり灯籠
燐寸が上ります十個包みが一銭方 : 細軸製はなくなる

キャプタイヤコード.湿気,熱に強く,芯線も太いものが多いから普通1キロ以上の器具に使われる

亀島の石灯籠

二基の石燈籠
「みがきたるうゑにもみがく 玉づくし」
こどもがあるかときく

審くもの審かれるもの
多産鶏にご褒美 : 一年の産卵三百個以上に限る

曲がりくねって上川盆地を流れる石狩川.遠くに旭川がみえる
英米大会社欠損 : 八千万円以上に達したものがある
山下汽船実力 : 少くも七万噸以上

木造船が石鏡の浜に戻ってくる

雨の日.手もとが見えなくなるまで田植がつづく

3個の「くろまめ」
痛快なる海上生活 : 独潜水艦以上の冒険的航海者も尠くない

百川の山麓を流れる用水 右は用水開削時に「開発役所」の置かれた宝光院

藩政時代初期から稼行してきた一目城石切場の跡(日出町) 山腹の穴に石材を切り出した矢穴の跡が残っていた

〔右〕東縁一の関跡 四か所の関のうち遺構がわずかに残っているのはこの2か所だけである

山科運河 山科盆地北側の山麓をめぐってゆるやかに流れる 両岸には遊歩道が続き市民の憩いの場になっている 数か所にかんがい用の...

不動川相谷に残る小形石堰堤 高さ約2.5m 補修のため積み直されたが石の位置は忠実に復元された 明治前期砂防堰堤の典型的構造...

中部電力小里川第一発電所(岐阜県瑞浪市) 大正11年 多治見電燈所により建設され ペルトン社製水車とGE社製発電機で発電を開...

〔左〕西縁一の関跡 関の基礎杭と底板らしいものが見える

道路沿いに見られる高良山神籠石の列石。海抜100~200mの山腹を縫って延々と続いている。

高瀬舟を引く綱が岩を刻んだ跡 数百年にわたる重労働の痕跡だ 津山市押淵の川中山王

海軍伝習所跡の石標 日本最初の科学技術教育機関でもあった

(上)木炭運搬軌道の路盤跡。今は桑畑になっている。石垣の下に製鉄所用の水路が通っていた。

雷山神籠石の北水門。海抜400mの渓谷にある強固な石積で三つの通水孔を持つ。本格的調査は行われていない。

【仙波河岸跡】 明治初年の開設。新河岸川から川越市街南端の愛宕神社下まで掘りこんだ船着場の跡が認められる。

右は釜屋間歩 慶長の初め安原伝兵衛が開発

佐田神社本殿裏の煉瓦塀 反射炉跡から採取した煉瓦で築かれた 炉内にあった部分らしく焼けただれており高温での操業を思わせる

東排水路の出口と三之橋。水路に架かる四つの石造桁橋は,一つ一つデザインが異なっている。満潮時には水路の奥まで潮が入り込む。

〔右〕裏側から見た福永家住宅 左手前から土蔵・離座敷・主屋・釜屋など 塩を積んだ上荷舟が往来した水路も残る

天念寺(豊後高田市)付近の長岩屋連峰の一部 国東半島を含む大分県北部には 浸食を受けた凝灰角礫岩などが岩峰・急崖の奇観を見せ...

昭和4年に湯川本流に設けられた旧取水口 現在も第1発電所へ水を送っている

山居倉庫西側の欅並木 樹齢100年に達する 倉庫を夏の直射日光と冬の西風から守るために植えられた 現在は庄内米歴史資料館へ抜...

明治11年12月の遭難事件の死者を追悼する漂流人記念碑 太地港を見下ろして立っている

〔左〕倉賀野河岸跡(高崎市) 烏川にかかる共栄橋北詰に記念碑がある 江戸からの元船はここまで遡った

天女橋(那覇市首里) 円鑑池内の弁財天堂にかかる名橋で1502年ごろの架橋 4本6列の石材からなるリブアーチ

今に残る中馬道 飯田を後に南西へ4里 阿智村大沢の庚申坂を過ぎ 伊那街道は寒原峠への登りにかかる 昔の往還のにぎわいを語るの...
最終更新日:
登録日: 2021-07-29
