百川の山麓を流れる用水 右は用水開削時に「開発役所」の置かれた宝光院

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〔左〕西縁一の関跡 関の基礎杭と底板らしいものが見える

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【仙波河岸跡】 明治初年の開設。新河岸川から川越市街南端の愛宕神社下まで掘りこんだ船着場の跡が認められる。

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今に残る中馬道 飯田を後に南西へ4里 阿智村大沢の庚申坂を過ぎ 伊那街道は寒原峠への登りにかかる 昔の往還のにぎわいを語るの...

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海軍伝習所跡の石標 日本最初の科学技術教育機関でもあった

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黒川村塩谷の諏訪神社を中心とする一帯に “くそうず坪”群の跡があり 黒川村指定史跡になっている 近くには諏訪坪跡もある

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山居倉庫西側の欅並木 樹齢100年に達する 倉庫を夏の直射日光と冬の西風から守るために植えられた 現在は庄内米歴史資料館へ抜...

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大蔵省醸造研究所 明治35年 滝野川反射炉跡地に設けられた 当時の煉瓦建造物も現存している

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昭和4年に湯川本流に設けられた旧取水口 現在も第1発電所へ水を送っている

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菅ヶ谷川のほとりにポツンと残されている採油管 まだ少量の原油が汲めるという 菅ヶ谷のこの新田地区は 明治初年以来 成績の良い...

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新津市古田南にある「八珍柿」の原木。推定樹齢260年。

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絲原記念館 手前から管理棟・たたら民具棟・美術工芸棟 水路の右に絲原邸がある

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熊本城の石垣

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明治11年12月の遭難事件の死者を追悼する漂流人記念碑 太地港を見下ろして立っている

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〔右〕東縁一の関跡 四か所の関のうち遺構がわずかに残っているのはこの2か所だけである

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牛宿を営んだ根羽村高橋の片桐家 中馬の輸送手段には牛も使われた 明治15年に根羽村に14軒の牛馬宿があった

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道路沿いに見られる高良山神籠石の列石。海抜100~200mの山腹を縫って延々と続いている。

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雷山神籠石の北水門。海抜400mの渓谷にある強固な石積で三つの通水孔を持つ。本格的調査は行われていない。

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山科運河 山科盆地北側の山麓をめぐってゆるやかに流れる 両岸には遊歩道が続き市民の憩いの場になっている 数か所にかんがい用の...

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広瀬町西比田の金屋子神社 金屋子神降臨譚で知られ 製鉄関係者の信仰が厚い

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左は揖斐川の支流杭瀬川の堤防に建つ「決潰守護神」(明治29年破堤の跡)

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藩政時代初期から稼行してきた一目城石切場の跡(日出町) 山腹の穴に石材を切り出した矢穴の跡が残っていた

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〔左〕倉賀野河岸跡(高崎市) 烏川にかかる共栄橋北詰に記念碑がある 江戸からの元船はここまで遡った

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薩摩藩の御手伝普請により宝暦5年完成した千本松締切堤 完工当時植えられた松が 揖斐川の流れに濃い影を落としている

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秀吉が寄進した日吉三橋の一つ走井橋は板石の量感と流麗な意匠がみごとである

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最終更新日:

登録日: 2021-07-21