東排水路の出口と三之橋。水路に架かる四つの石造桁橋は,一つ一つデザインが異なっている。満潮時には水路の奥まで潮が入り込む。

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岡山へ向かう高瀬舟を通した倉安川旧水門

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鹿妻穴堰頭首工 国営雫石川沿岸農業水利事業により昭和46年度に完成 在来の穴口堰に代わり総延長109mの横断堤で毎秒最大16...

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津山に3か所あった舟着場の一つ 明石屋淵(安岡町裏)の常夜灯 金毘羅大権現と文化十五寅年の文字が彫られている

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中部電力小里川第一発電所(岐阜県瑞浪市) 大正11年 多治見電燈所により建設され ペルトン社製水車とGE社製発電機で発電を開...

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浮桟橋と連絡する可動橋の設置跡。埠頭石積みが斜めに切り込まれている。

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吉井川中流の河港本和気(和気町)には舟番所もあった 河岸は改修されているが舟着場の面影を残す 川倉も残っている

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山科運河 山科盆地北側の山麓をめぐってゆるやかに流れる 両岸には遊歩道が続き市民の憩いの場になっている 数か所にかんがい用の...

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郡山市逢瀬町地内の安積疏水 最近の改修工事で水路は全線にわたってコンクリートの護岸が施され すっかり様子が変わった

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竜岡城(長野県南佐久郡臼田町) 日本に二つしかない五稜郭 内側の石垣を伊那の石工 外側の石垣を地元の石工と農民が築いたという...

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虹澗橋(三重町菅尾) 文政7年(1824) 交通の難所であった柳井瀬の谷に架けられたアーチ橋 橋長31m 径間25.2m 拱...

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左は現在の第2酒匂川橋りょう(御殿場線山北・谷峨間)六郷川から移されたワーレントラスは昭和40年にプレートガーダーに取替えら...

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宇佐平野を流れる広瀬井出。微高地を縫い築堤して水路を延ばしている。

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筋違橋から見た名古屋城 堀川開削の当初の主目的は築城用資材の輸送であった

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津呂港の高い岸壁。セメントモルタルを吹きつけてあるが,大きく露出した岩盤が見える。困難だった昔の掘り込み工事が想像される。

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〔右〕アーチ形の満濃池堤防 右端は弘法大師修法の場と伝えられる護摩壇岩

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堰堤下流に築かれた第二取水口 溢水堤・桝形・仕切堤などの仕上げは美しく すぐれた石工の腕を示している

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右は旧沼上隧道の入口 水門を設けて流入量を調節していた いずれもいまは使われていない

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琵琶湖の流出量を調節する瀬田川洗堰(大津市南郷) 手前は明治38年に設けられた旧堰の遺構 遠景は昭和36年完成の新堰

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浜益村適沢の海岸 中央の赤い屋根が浜益村郷土資料館(旧白鳥番屋) 断崖の続くこの海岸もニシンの好漁場であった

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樽沢から渡部(遠景)へ向かう長根堰 文政年間に「流し掘り」法で開削され 今もほぼそのまま灌漑用に使われている

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不動川相谷に残る小形石堰堤 高さ約2.5m 補修のため積み直されたが石の位置は忠実に復元された 明治前期砂防堰堤の典型的構造...

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明治36年に開坑した中野家の機械掘り3号井。今も原油を汲み上げ続けている。左は中野邸。

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石岡第1発電所(北茨城市) 日立鉱山の原動力用として 明治44年に開設 建物も当時では珍しい鉄筋コンクリート 現在は東京電力...

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中城城二の丸の城壁 蛇行する石塁とその上の胸壁に本土の城郭にはない大陸的な技法が感じられる 築城年代の遅い中城城は沖縄の城の...

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最終更新日:

登録日: 2021-07-21