【仙波河岸跡】 明治初年の開設。新河岸川から川越市街南端の愛宕神社下まで掘りこんだ船着場の跡が認められる。

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新津市古田南にある「八珍柿」の原木。推定樹齢260年。

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弁吉の屋敷跡に建てられた顕彰碑 町はずれの一軒家で 使いみちのない才をもて余しながら 弁吉はその後半生をすごした

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黒川村塩谷の諏訪神社を中心とする一帯に “くそうず坪”群の跡があり 黒川村指定史跡になっている 近くには諏訪坪跡もある

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山居倉庫西側の欅並木 樹齢100年に達する 倉庫を夏の直射日光と冬の西風から守るために植えられた 現在は庄内米歴史資料館へ抜...

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今に残る中馬道 飯田を後に南西へ4里 阿智村大沢の庚申坂を過ぎ 伊那街道は寒原峠への登りにかかる 昔の往還のにぎわいを語るの...

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百川の山麓を流れる用水 右は用水開削時に「開発役所」の置かれた宝光院

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〔左〕倉賀野河岸跡(高崎市) 烏川にかかる共栄橋北詰に記念碑がある 江戸からの元船はここまで遡った

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龍源寺間歩 御直山のうちでも永久・大久保・新切・新横相とともに“五■山”(■は平仮名のちいさいか)と呼ばれた有能な山 奥は分...

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〔左〕西縁一の関跡 関の基礎杭と底板らしいものが見える

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藩政時代初期から稼行してきた一目城石切場の跡(日出町) 山腹の穴に石材を切り出した矢穴の跡が残っていた

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懸樋で川を越える幹線水路 前方の揚水機場からは 右手の高位部耕地へ配水する(紫波町南伝法寺)

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浮桟橋と連絡する可動橋の設置跡。埠頭石積みが斜めに切り込まれている。

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天念寺(豊後高田市)付近の長岩屋連峰の一部 国東半島を含む大分県北部には 浸食を受けた凝灰角礫岩などが岩峰・急崖の奇観を見せ...

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海軍伝習所跡の石標 日本最初の科学技術教育機関でもあった

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谷地地方(西村山郡河北町)は,紅花生産・流通の一中心地であった。紅花豪商として知られた堀米家の屋敷が,紅花資料館として公開さ...

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菅ヶ谷川のほとりにポツンと残されている採油管 まだ少量の原油が汲めるという 菅ヶ谷のこの新田地区は 明治初年以来 成績の良い...

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牛宿を営んだ根羽村高橋の片桐家 中馬の輸送手段には牛も使われた 明治15年に根羽村に14軒の牛馬宿があった

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田辺朔郎紀功碑(蹴上インクライン上)

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観光施設となった鯛生金山 駐車場隣のグランドは元鉱滓堆積場 前方はレストハウス・金山資料館など 坑道入口はその奥

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(上)木炭運搬軌道の路盤跡。今は桑畑になっている。石垣の下に製鉄所用の水路が通っていた。

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砥石山の露天堀跡(群馬県南牧村砥沢) 数百年にわたり砥石を掘り取り続けたため山の一角が消えてしまった 近くに水抜坑跡もある

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薩摩藩の御手伝普請により宝暦5年完成した千本松締切堤 完工当時植えられた松が 揖斐川の流れに濃い影を落としている

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六尾反射炉跡地の西側境界に残る土塁 昔はもっと高かったという この内側に沿って水路と水車があった 前方左側が元の正面入口

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佐田神社本殿裏の煉瓦塀 反射炉跡から採取した煉瓦で築かれた 炉内にあった部分らしく焼けただれており高温での操業を思わせる

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最終更新日:

登録日: 2021-07-21