赤煉瓦で築かれた中野家の原油タンク。明治期の建設と推定される(下)。

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浦賀灯明台跡(横須賀市指定史跡) 浦賀の干鰯問屋は 運上のほか この灯明台の維持費も負担した

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大江山山麓のニッケル鉱山跡。鉱石積込み用のホッパーが今も残っている。かつてはSLの引く鉱石列車が岩滝の製錬所との間を往復して...

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新橋停車場のホーム跡。長さ144m、幅9.1m。両縁は4段の切石が積まれ、中央には排水溝が通っている。

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吉井川中流の河港本和気(和気町)には舟番所もあった 河岸は改修されているが舟着場の面影を残す 川倉も残っている

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復元修理された福永家住宅(鳴門市高島) 左からかん水溜・釜屋・主屋が並ぶ 江戸時代後期の建築で入浜式製塩設備の遺構として唯一...

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法灯千年の歴史と門跡寺院の格式を誇る滋賀院 城郭と見まがうほどの石垣は野面積み特有の力強い美しさをよく示している

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明治36年に開坑した中野家の機械掘り3号井。今も原油を汲み上げ続けている。左は中野邸。

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左は現在の第2酒匂川橋りょう(御殿場線山北・谷峨間)六郷川から移されたワーレントラスは昭和40年にプレートガーダーに取替えら...

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竜岡城(長野県南佐久郡臼田町) 日本に二つしかない五稜郭 内側の石垣を伊那の石工 外側の石垣を地元の石工と農民が築いたという...

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〔右〕木材のような重量運搬には運河が一番とあって材木商は現在も多い(日置橋付近)

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翌3年に建てられた碑は工事材料の石を使ったものか

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〔左〕北上運河と旧北上川の分岐点(石巻市)に設けられた水位調節用の石井閘門(時の土木局長石井省一郎の名をとった) 日本最初の...

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広瀬頭首工。取入れ口の位置は変わらないが,現在は発電所の排水を受ける形で取水している。広瀬井手は右岸に沿って流れていく。

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【仙波河岸跡】 明治初年の開設。新河岸川から川越市街南端の愛宕神社下まで掘りこんだ船着場の跡が認められる。

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中部電力小里川第一発電所(岐阜県瑞浪市) 大正11年 多治見電燈所により建設され ペルトン社製水車とGE社製発電機で発電を開...

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〔右〕第二発電所の貯水槽の上から見た小里川の谷 前方の屈曲部の先に高さ114mの新しいダムができる

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大阪市旭区毛馬で淀川への流入量を制御する水門(洗堰)と閘門 近年改築されている

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三隅川(筑後川上流)に沿う日田の街並み 対岸が大蔵永常の生まれた旧紺屋町あたり

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〔中〕山方町諸沢に今も残る中島藤右衛門の生家 山深い里で農民のための新技術が生まれた

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「赤門」と呼ばれる永島家の長屋門。江戸時代から浜代官や名主を勤めてきた旧家の格式を示す。

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右は今帰仁城平朗門(国頭郡今帰仁村) 野面積みによる古い城だが規模は首里城に次ぐ

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〔右〕裏側から見た福永家住宅 左手前から土蔵・離座敷・主屋・釜屋など 塩を積んだ上荷舟が往来した水路も残る

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最終更新日:

登録日: 2021-07-21