騰った建築材料 : 一月は四十ポイント方

建築材料

材料より見たる建築の火害

間伐材を使用したエコプラザの内装(下)図8-3-1-2 間伐材でつくられた椅子

遣唐使船の建造を伝える石碑.倉橋島
材料の大暴騰に面喰った建築界 : 統制の機運濃化す
一営商会石材工場の目覚しき躍進 : 石碑、記念碑の機械製作 : 建築花崗岩板石の製材 : 独得の石材加工機械の発明
打って変った印刷業 : 材料は安いが

人工島 初島 3) 満潮時,天草や島原から運ばれたグリ石がつまれる.完成までには石材6万7千トンを使った
南石窟寺碑3
耐食性に優れたジルコニア粒子分散アルミナセラミック複合材料の材料設計

煮たったところへ魚を入れ 3

(日のあたった石垣)

建築材料商之巻

建築用金物材料

砂丘に建つ石碑

砂丘に建つ石碑

本邦産建築石材

沓掛大火の翌日搬入された電柱
諸材料取調帳(木材・石材ほか)
建築勃興 : 建築材料奔騰

○3(○の中に3)上総掘りに使われた一文字ビット。(いずれも石油の世界観展示品)

建築用本邦産木材及石材

府内城ってだれが建てたん

琵琶湖の流出量を調節する瀬田川洗堰(大津市南郷) 手前は明治38年に設けられた旧堰の遺構 遠景は昭和36年完成の新堰

大江山山麓のニッケル鉱山跡。鉱石積込み用のホッパーが今も残っている。かつてはSLの引く鉱石列車が岩滝の製錬所との間を往復して...

〔右〕裏側から見た福永家住宅 左手前から土蔵・離座敷・主屋・釜屋など 塩を積んだ上荷舟が往来した水路も残る

明治11年12月の遭難事件の死者を追悼する漂流人記念碑 太地港を見下ろして立っている

御幸坑 元は五番坑と呼ばれたが明治14年の明治天皇行幸を記念して改名された

現在の備前渠用水取入口(本庄市山王堂地先) 利根川・烏川の合流点で水門工は昭和36年の完成 流入した水は暗渠を経て河川敷内の...

浮桟橋と連絡する可動橋の設置跡。埠頭石積みが斜めに切り込まれている。

山科運河 山科盆地北側の山麓をめぐってゆるやかに流れる 両岸には遊歩道が続き市民の憩いの場になっている 数か所にかんがい用の...

新橋停車場のホーム跡。長さ144m、幅9.1m。両縁は4段の切石が積まれ、中央には排水溝が通っている。

〔石川県塩屋港〕大聖寺川を利用した河口港 少し上流の瀬越港とともに北前船主の根拠地として有名であった

中川運河から堀川へ出入りする船のために設けられた松重閘門(昭和5年の完成)

洋式燈台のさきがけとなった観音崎燈台 現在は14万カンデラの光度で20海里の沖まで照らす

放水口発電所のフランシス水車 発電室の左右に4連ずつ配置され運転中は水没した状態になっていた 8台の出力1,800馬力

現在の室津港は,漁船の船溜りとして活用されている。右手が内港の港口。

松江市浜佐陀町の佐陀川起点 前方が宍道湖 佐陀川は200年前の開削以来 宍道湖増水時の沿岸の水害を防いできた

〔中〕山方町諸沢に今も残る中島藤右衛門の生家 山深い里で農民のための新技術が生まれた

筋違橋から見た名古屋城 堀川開削の当初の主目的は築城用資材の輸送であった

宇和島藩に招かれた村田蔵六(大村益次郎)が2年半ほど住んでいた神田川原

樽沢から渡部(遠景)へ向かう長根堰 文政年間に「流し掘り」法で開削され 今もほぼそのまま灌漑用に使われている

神奈川県庁前の日本大通り 旧居留地と日本人街の堺に当たる 下水道を含めブラントンに整備された

「紡績址」の碑(磯) この左手一帯が鹿児島紡績所の敷地であった 手前は紡績所正門に使われていたという傘石

のどかな水郷風景も洪水と排水に苦しめられた輪中地帯の歴史を秘めている この沼は古い木曽川河道の跡(岐阜県海津町)

大野港 かつては隣の宮腰(現在の金石)とともに北前船の出入りでにぎわった

宇佐平野を流れる広瀬井出。微高地を縫い築堤して水路を延ばしている。
最終更新日:
登録日: 2021-07-29
