
左は南牧村羽沢の五郎兵衛墓 遺髪を収めてある

ガラ紡の発明者 臥雲辰致をたたえる記念碑(岡崎市郷土館) 大正10年の建立

右は釜屋間歩 慶長の初め安原伝兵衛が開発

白谷雲水渓 屋久島

アイビースクエアの“ひろば” 赤煉瓦の壁と床 アーチの回廊がかもし出す開放的空間

北前船のイカリ 沈船から引上げたもの(金沢市大野湊神社)

雷山神籠石の北水門。海抜400mの渓谷にある強固な石積で三つの通水孔を持つ。本格的調査は行われていない。

左は難工事の犠牲者500余人の霊をとむらう招魂碑(横川) 工事を請負った鹿島組の建立

右は佐久石(溶結凝灰岩)を使った美しい仕上げ

干拓完成を記念し明治9年に建立された神野新田紀徳之碑

明治11年12月の遭難事件の死者を追悼する漂流人記念碑 太地港を見下ろして立っている

正面から見たB窯跡 手前が焚口 焼成室の隔壁と天井はくずれ去り階段状の床とサマ孔(火炎孔)が見える 全長約12m

熊本城の石垣

左は正徳3年(1713)に国東町の泉福寺参道石段を築造した宇佐石工 吉用兵左衛門と半七の刻銘

〔右〕同南側下部 迫持ちアーチの開口部(湯口側)

〔左〕高萩市赤浜の長久保赤水旧居(前新屋・長久保甫氏宅)と旧浜街道

Wall No.3 (Kabe No. 3)

閉鎖された坑道の一つ「藤見坑」 藤見鉱床は昭和30年代の開発で黄銅鉱・黄鉄鉱を産した

〔中〕矢島宝泉寺裏の堀貫跡 難工事を伝える話が残されているが崩壊を防ぎきれず後に放棄された 現在は同じ位置に新用水のトンネル...

プロムナードのギャラリイの窓

昭和4年に湯川本流に設けられた旧取水口 現在も第1発電所へ水を送っている

御幸坑 元は五番坑と呼ばれたが明治14年の明治天皇行幸を記念して改名された

右は炭鉱の苦役で死亡した空知集治監の囚人約1,000人を祭った「合葬之墓」(三笠市柏町) 左側に並ぶのはここで獄死した自由党...

西那須野町千本松で分岐する第4分水。左が加冶屋掘,右が西堀。那須野が原の西部をうるおす。
最終更新日:
登録日: 2021-07-21







![[天満宮]](https://museumcollection.tokyo/wp-content/uploads/2021/10/5404-L.jpg)

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