
玉川上水幹線樋請杭木の様子

六把野井水懸樋
水揚げ樋 (佐渡所見)

温古写真集 28.神田川 水懸樋

ヴィオラー : 紫光線電波治療器

下水道工事 島田幹線

下水道工事 細堀幹線

下水道工事 島田幹線

延命村上樋懸用水取水一件申上書控

耕地整理揚水場設置記念碑

新川町・新川幹線排水路

新川町・新川幹線排水路

新川町・新川幹線排水路

旅みやげ第二集 水揚げ樋(佐渡所見)

(耕地整理・揚水機の件ニ付書簡)

見沼代用水 瓦茸伏越 (懸樋修繕碑記)

公共下水道 中央幹線内部

谷津排水区菊田台下水幹線新設

揚水御用樋升大工杣取木挽人足樋木酒代諸掛勘定帳
三線問題の余波 : 満鉄幹部の進退

久里村用水幹線改良事業地
[日本通信大学・法制学会事務所]樋詳細図・現寸図、竪樋の位置と水勾配を示す図

右は三島車 懸樋で受けた水は水溜に集められ水田へ配水される 下車(右側)は今年造り替えられた

新川町の幹線排水路(末田落し)

3号堤防上から見た神野新田 現在の土地改良区に属する土地は830ヘクタール(耕地・宅地・養魚池) 約400戸が居住している

〔右〕水田へ配水するため土盛りをして水を通したつきぜき(築堰) 現在はその上にコンクリートの溝渠を通して同じ目的に使っている...

牛宿を営んだ根羽村高橋の片桐家 中馬の輸送手段には牛も使われた 明治15年に根羽村に14軒の牛馬宿があった

天保13年(1842)渡部斧松の設計で開削された長坂穴堰跡(前方の丘陵 手前は開渠跡) 左は米代川 北秋田郡田代町長坂

〔左〕見沼代用水東縁の水路(岩槻市上野田付近) 見沼代用水は今も埼玉県東部の水田地帯をうるおしている

宇佐平野を流れる広瀬井出。微高地を縫い築堤して水路を延ばしている。

【仙波河岸跡】 明治初年の開設。新河岸川から川越市街南端の愛宕神社下まで掘りこんだ船着場の跡が認められる。

〔中〕山方町諸沢に今も残る中島藤右衛門の生家 山深い里で農民のための新技術が生まれた

川崎区堀川町地先の煉瓦護岸。大正13年に築造された。前面を埋めたため見えないが,煉瓦積み(右側の傾斜部分)はずっと下まで続い...

大森代官所跡 初代奉行大久保石見守長安以下59人の奉行・代官がここで天領“銀山御料”を統治した 現在は表門と門長屋だけを残す...

大蔵永常が指導しサトウキビ栽培と製糖を行ったという仁崎(現田原町)左は三河湾

〔右〕現在の同地点の風景

旧花田家番屋(国指定重要文化財) 留萌郡小平町鬼鹿字広富の海岸に残るニシン番屋 明治38年ごろの建築で現存最大の規模を持つ ...

盛岡市猪去付近の鹿妻本堰 400年の歴史を秘めて 今年もまた5,200haの田に水を送る

赤い石州瓦の屋根が続く大森の町 “銀山御料”の中心地だった

長野県川上村の大深山付近から西方、八ヶ岳を望む。中央は千曲川。右手の山腹に大深山遺跡がある。

右は旧沼上隧道の入口 水門を設けて流入量を調節していた いずれもいまは使われていない

〔右〕忠次の小室陣屋跡(伊奈町) 沼と湿田に囲まれた要害の地であった いずれも埼玉県指定史跡

〔左〕北上運河と旧北上川の分岐点(石巻市)に設けられた水位調節用の石井閘門(時の土木局長石井省一郎の名をとった) 日本最初の...

鹿妻穴堰頭首工 国営雫石川沿岸農業水利事業により昭和46年度に完成 在来の穴口堰に代わり総延長109mの横断堤で毎秒最大16...

龍源寺間歩 御直山のうちでも永久・大久保・新切・新横相とともに“五■山”(■は平仮名のちいさいか)と呼ばれた有能な山 奥は分...

「五万石でも岡崎さまはお城下まで舟が着く」と古謡に歌われた岡崎城 下を流れるのは菅生川

右は高炉台公園から見た東田高炉記念広場 第1高炉だけが保存されている ただし高炉には絶えず改修・改造が加えられたため 厳密に...

広やかに続く運河の堤防は気持のよい散策コース 昔は沿岸に桜並木もあったという
最終更新日:
登録日: 2021-07-29
