
薩摩藩の御手伝普請により宝暦5年完成した千本松締切堤 完工当時植えられた松が 揖斐川の流れに濃い影を落としている

右は釜屋間歩 慶長の初め安原伝兵衛が開発

振矩師の測量作業 鯛生金山の記録に残る歴史は明治中期以降だが 坑内には江戸時代の採鉱作業風景なども展示されている

〔右〕神間歩(カミマブ,ガニマブ)は採掘よりも神事を目的とした穴と見られている 正面奥の壁に切り込まれた棚は 山神を祭った祭...

〔中〕約30mの絶壁の上にある猿橋 架替え工事準備のため橋の下に足場が組まれている

(中)西沢奥の横坑。昭和戦後まで鉄鉱石を掘り続け,十数坑が残っている。

中はA窯の焼成室内部 幅3.5m 奥行1.1m 天井は煉瓦でアーチ状に組み粘土を詰めてある

〔左〕慶長時代金鉱採掘時の狸掘り跡 人がはって通るだけの断面しかなかった

大久保長安の墓(逆修塚)かれの死後こわされたが江戸時代後期に再建された 銀山の繁栄再来を願っての供養なのだろうか

二八〇年前の運河遺跡「勘十郎堀」。台地に急角度で掘り込まれた水路跡が分かる。熱気球により逆川池付近から西南方を俯瞰したもの。

江川英龍が築いた韮山反射炉は 主として梨本産白土を原料とする耐火煉瓦を使った

砥石山には坑道掘の跡もある 整然としたのみの跡に 熟練した鉱夫の技術が想像される

上松から赤沢へ 小川の谷をさかのぼる途中にある木曽式運材の遺跡「五枚修羅」 渓流が大きく屈曲する地点で 流送する木材がひっか...

“慶寿の堀切” 江戸時代に銀鉱の露頭を掘り取った跡 初期の銀山ではかなりの富鉱が地表近くに顔を出していたらしい

佐田神社本殿裏の煉瓦塀 反射炉跡から採取した煉瓦で築かれた 炉内にあった部分らしく焼けただれており高温での操業を思わせる

久米通賢の墓(引田町馬宿)

新緑と残雪と 黒部峡谷鉄道鐘釣にて

中は新切間歩 初め水抜き坑として掘られたが大鉱脈に当たって盛山となった

養老町大牧の「薩摩工事役館跡」 御手伝普請に参加した平田靱負以下の薩摩藩士はここにあった豪農屋敷に本小屋(工事本部)を置いた

五郎兵衛用水の堀貫跡(取水口付近) 最も工事が困難だった鹿曲川右岸の断崖崩壊が激しく旧状をとどめない所が多い

製鉄所裏山の尾根に祭られた山神。祠の鋳鉄製柱に「明治八年乙亥三月十九日」の文字が刻まれており,製鉄所の操業開始の時期を暗示し...

“香嵐渓”の名で知られる巴川の清流 そのほとりで山の暮らしと手仕事の再現が試みられている

滝裏の「堀貫」の一部。人が這って通れる程度の広さだが,今もよく形を残している。

〔右〕明治34年 山居沢で日本最初のカーバイド製造に成功した藤山常一博士の顕彰碑 発電所の東隣にある
最終更新日:
登録日: 2021-07-29








