
「とりかへはやものかたり」
「とりかへはやものかたり」
「とりかへはやものかたり」
「とりかへはやものかたり」
「とりかへはやものかたり」
「とりかへはやものかたり」
「とりかへはやものかたり」
「とりかへはやものかたり」
「とりかへはやものかたり」
「とりかへはやものかたり」
「とりかへはやものかたり」
「とりかへはやものかたり」
「とりかへはやものかたり」
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「とりかへはやものかたり」
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「とりかへはやものかたり」
「とりかへはやものかたり」
「とりかへはやものかたり」

「とりかへはやものかたり」
「とりかへはやものかたり」
「とりかへはやものかたり」
「とりかへはやものかたり」

〔右〕潮来河岸跡(茨城県潮来町) 近世初期は海船から川船への中継港であった

〔右〕アーチ形の満濃池堤防 右端は弘法大師修法の場と伝えられる護摩壇岩

琵琶湖の流出量を調節する瀬田川洗堰(大津市南郷) 手前は明治38年に設けられた旧堰の遺構 遠景は昭和36年完成の新堰

北上運河(石巻市元明神付近) 全長12km幅25mのこの運河は現在はほとんど使われていないが ほぼ完全な姿で残っており野蒜築...

〔下〕現在の堀川(折尾駅付近)

木曾川にのぞむ八百津町 古くから木曾川舟運の終着地として繁栄した所で 今もその歴史の風格をたたえた静かな町である

「五万石でも岡崎さまはお城下まで舟が着く」と古謡に歌われた岡崎城 下を流れるのは菅生川

〔右〕現在の八丁橋付近 中央は芝川 手前が東縁通船堀の出口である 船頭たちもこの近辺に住んでいた

閉山した■原鉱山 吉井川高瀬舟の最後の荷はここの鉱石であった(■は木へんに册)

京都府久御山町の宇治川(淀川中流) 対岸は京都市の淀地区で宇治川と桂川を分離するために築かれた“淀堤”が続いている

静かな入江 西彼杵半島面高漁村

〔左〕福永家住宅に隣接する塩田跡(約6,500■(m2、平方メートル))も重要文化財に指定されたが こちらはまだ復元修理され...

竜岡城(長野県南佐久郡臼田町) 日本に二つしかない五稜郭 内側の石垣を伊那の石工 外側の石垣を地元の石工と農民が築いたという...

愛知県新城市桜渕の河港(川岸)跡 新城は馬背による陸運と豊川舟運との接点で 信州中馬や三州馬が付けてきた荷は ここから舟で吉...

大野港 かつては隣の宮腰(現在の金石)とともに北前船の出入りでにぎわった

妙法寺峠に近い“献上場”付近の風景 早くから石油露頭の見られたこのあたりでは 明治以降も盛んに石油採掘が行われた(西山町妙法...

太田川デルタ地帯にある広島は、河川舟運による物資の集散が便利で、藩政時代から様々な産業が発達した。

〔中〕滝ノ頭水源の池 用水開削後に堤を築いて貯水池とした

〔左〕倉賀野河岸跡(高崎市) 烏川にかかる共栄橋北詰に記念碑がある 江戸からの元船はここまで遡った

旧大湊第一水源地の貯水池 有効貯水量は約5,000■(m3、立方メートル) 堰堤だけでなく 貯水池の側壁から底面まで 漏水を...

安積疏水の新取水口 猪苗代湖の水はここから直接隧道に入り五百川の谷に流れ下る灌漑用水・発電用水の需要増大で湖水の利用水深は昔...

大榑川洗堰の築堤を記念する「薩摩堰遺跡」の碑 長良川の水が揖斐川に流れ込むのを防ぐため設けられた洗堰(石堤)は 現在は前方に...

布引貯水池 堤頂は海抜212m 遠く神戸港が見渡せる ここ布引谷は神戸の近代水道発祥の地である

三隅川(筑後川上流)に沿う日田の街並み 対岸が大蔵永常の生まれた旧紺屋町あたり
最終更新日:
登録日: 2021-07-29
