
虹澗橋

小瀬の柳川鉄橋

飯坂温泉・十綱橋 : 虹の如く架かる

古隅田川に架せられた石橋

瀬尻橋より視たる□□通り
佐川町 柳瀬橋より小冨士を望む

絵本隅田川両岸一覧・新柳橋の白雨 御竹藏の虹

絵本隅田川両岸一覧・新柳橋の白雨 御竹藏の虹

市の中心部にかかる幸橋.1702年に架橋した
![菅家高橋家系図(カンケ タカハシケ ケイズ) / 黒瀬格一寫. [写本]](https://da.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/portal/sites/default/files/styles/large/public/images/assets/ogai/7f3b63e7-70a2-4a22-9373-1c573412c4e7_0.jpg?itok=64bCOTeL)
菅家高橋家系図(カンケ タカハシケ ケイズ) / 黒瀬格一寫. [写本]

菓子で作った瀬戸大橋 1

菓子で作った瀬戸大橋 2

西寒田神社(大分市寒田)の参道に架かる万世橋 橋長22mの石造アーチ橋 文久2年(1862)に大野郡柴北村の石工によって架設...

阪急今津線に落下した国道171号線高架橋
大震害を蒙りたる二重橋前の■柳と皇城二重橋

「近江八景」 「瀬田(せた)の長橋(ながはし)」
東京名勝尽くし、柳橋のわたし雨中の景
日伯国民の"心の渡橋" : 南米サ州に架けられたその名も「新東洋橋」

新聞切抜(福岡日日新聞) 苦心惨憺した架橋の秘法
アクチンに架橋された平滑筋ミオシンクロスブリッジにおける張力発生機構

昭和47年7月豪雨で決壊した追良瀬橋

昭和47年7月豪雨で決壊した追良瀬橋

昭和47年7月豪雨で決壊した追良瀬橋

昭和47年7月豪雨で決壊した追良瀬橋

今に残る中馬道 飯田を後に南西へ4里 阿智村大沢の庚申坂を過ぎ 伊那街道は寒原峠への登りにかかる 昔の往還のにぎわいを語るの...

中部電力小里川第一発電所(岐阜県瑞浪市) 大正11年 多治見電燈所により建設され ペルトン社製水車とGE社製発電機で発電を開...

右は旧沼上隧道の入口 水門を設けて流入量を調節していた いずれもいまは使われていない

龍源寺間歩 御直山のうちでも永久・大久保・新切・新横相とともに“五■山”(■は平仮名のちいさいか)と呼ばれた有能な山 奥は分...

足助町の足助川に沿って残る中馬道 伊那街道の要衝であった足助は 特に塩の中継地点として知られ 明治前期には年間約2万俵 馬数...

観光施設となった鯛生金山 駐車場隣のグランドは元鉱滓堆積場 前方はレストハウス・金山資料館など 坑道入口はその奥

水車紡の中心地であった岡崎市滝町(旧常磐村滝) 水車を運転するため青木川に設けられた堰堤や水路が今も一部残っている 両岸には...

竜岡城(長野県南佐久郡臼田町) 日本に二つしかない五稜郭 内側の石垣を伊那の石工 外側の石垣を地元の石工と農民が築いたという...

天念寺(豊後高田市)付近の長岩屋連峰の一部 国東半島を含む大分県北部には 浸食を受けた凝灰角礫岩などが岩峰・急崖の奇観を見せ...

(上)木炭運搬軌道の路盤跡。今は桑畑になっている。石垣の下に製鉄所用の水路が通っていた。

鹿妻穴堰頭首工 国営雫石川沿岸農業水利事業により昭和46年度に完成 在来の穴口堰に代わり総延長109mの横断堤で毎秒最大16...

【仙波河岸跡】 明治初年の開設。新河岸川から川越市街南端の愛宕神社下まで掘りこんだ船着場の跡が認められる。

菅ヶ谷川のほとりにポツンと残されている採油管 まだ少量の原油が汲めるという 菅ヶ谷のこの新田地区は 明治初年以来 成績の良い...

佐田神社本殿裏の煉瓦塀 反射炉跡から採取した煉瓦で築かれた 炉内にあった部分らしく焼けただれており高温での操業を思わせる

妙法寺峠に近い“献上場”付近の風景 早くから石油露頭の見られたこのあたりでは 明治以降も盛んに石油採掘が行われた(西山町妙法...

〔左〕倉賀野河岸跡(高崎市) 烏川にかかる共栄橋北詰に記念碑がある 江戸からの元船はここまで遡った

院内の家並み 羽州街道の要衝として早くから院内の関が置かれ また後方基地としてその盛衰をともにしてきた町である 遠景は銀山と...

長野県川上村の大深山付近から西方、八ヶ岳を望む。中央は千曲川。右手の山腹に大深山遺跡がある。

〔左〕見沼代用水東縁の水路(岩槻市上野田付近) 見沼代用水は今も埼玉県東部の水田地帯をうるおしている

藩政時代初期から稼行してきた一目城石切場の跡(日出町) 山腹の穴に石材を切り出した矢穴の跡が残っていた

城郭のような構えの西江家(坂本) 宝暦年間から本山鉱山で磁硫鉄鉱を採掘し ローハ(弁柄の原料)の製造を行ってきた 中野の広兼...

中は取水口から沼上隧道まで続いている旧水路(約3.9km)

中城城二の丸の城壁 蛇行する石塁とその上の胸壁に本土の城郭にはない大陸的な技法が感じられる 築城年代の遅い中城城は沖縄の城の...

〔右〕現在の八丁橋付近 中央は芝川 手前が東縁通船堀の出口である 船頭たちもこの近辺に住んでいた
最終更新日:
登録日: 2021-07-21
