大切坑 宝永4年に開かれた院内銀山最大の水抜坑 総延長は約3,800m 明治になってからは鉱石運搬道としても利用された

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中は新切間歩 初め水抜き坑として掘られたが大鉱脈に当たって盛山となった

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〔右〕抜坑 採掘した鉱石を「ジョウゴ」から鉱車に積み込む(いずれも観光坑道内の展示)

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主坑道の鯛生坑口(海抜545m) かつては畜電車が鉱車を引いて出入していた 現在は観光坑道の出入口として利用している

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てにをは抜書

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大津市は気抜の形 : 高商を彦根に取られて : 首尾よく文相に出抜かれた 上京委員の懺悔話

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〔中〕降ろされた新米は 検査を受けて続々倉庫に搬入される

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閉鎖された坑道の一つ「藤見坑」 藤見鉱床は昭和30年代の開発で黄銅鉱・黄鉄鉱を産した

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たたかれ、踏まれてきた / ケツワリはリンチ / 社宅はまるで監獄

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てには抜書秘決

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春のかはたれ

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コンベアーで運ばれてきた石炭は砕かれ,たき口4から炉に入る

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彼らは如何に導かれたるか

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鋼鉄はいかに鍛へられたか

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鋼鐵はいかに鍛へられたか /

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坑内設備 6)坑道の掘進につれて移設されてゆくポンプ

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閑却されたる消費者大衆 : 扉は叩かれている!

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右は火あかりに使われた根曲り竹 鉱山周辺の山で刈り取りよく乾かして坑内で点火した(鹿角市鉱山歴史館展示品) 坑内照明がカンテ...

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かれはなばたけ

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空からこはれて

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果たして坑底の実態は? / 消されてしまう公傷 / 花火

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威嚇から急に折れて出た仏国 : 仏紙が素破抜いた賠償金大削減案

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沓掛大火の翌日搬入された電柱

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囚はれた大地 /

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黒川村塩谷の諏訪神社を中心とする一帯に “くそうず坪”群の跡があり 黒川村指定史跡になっている 近くには諏訪坪跡もある

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弁吉の屋敷跡に建てられた顕彰碑 町はずれの一軒家で 使いみちのない才をもて余しながら 弁吉はその後半生をすごした

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不動川相谷に残る小形石堰堤 高さ約2.5m 補修のため積み直されたが石の位置は忠実に復元された 明治前期砂防堰堤の典型的構造...

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八十八番目の札所 大窪寺

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右は浦賀燈明台跡(横須賀市西浦賀町) 慶安元年に設けられ200余年間点燈

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新津市古田南にある「八珍柿」の原木。推定樹齢260年。

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〔左〕西縁一の関跡 関の基礎杭と底板らしいものが見える

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伊豆天城山のふところ深く 苔むして横たわる登窯の遺構(斜め左側から見たA窯)

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広瀬町西比田の金屋子神社 金屋子神降臨譚で知られ 製鉄関係者の信仰が厚い

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国分寺の五重塔 吉備路

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昭和4年に湯川本流に設けられた旧取水口 現在も第1発電所へ水を送っている

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正面から見たB窯跡 手前が焚口 焼成室の隔壁と天井はくずれ去り階段状の床とサマ孔(火炎孔)が見える 全長約12m

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谷地地方(西村山郡河北町)は,紅花生産・流通の一中心地であった。紅花豪商として知られた堀米家の屋敷が,紅花資料館として公開さ...

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新津丘陵に点在する油井群(新津市小口)。ポンピングパワー(山上の小屋の中)から伸びるワイヤーで,複数の採油ポンプが駆動される...

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山居倉庫西側の欅並木 樹齢100年に達する 倉庫を夏の直射日光と冬の西風から守るために植えられた 現在は庄内米歴史資料館へ抜...

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【仙波河岸跡】 明治初年の開設。新河岸川から川越市街南端の愛宕神社下まで掘りこんだ船着場の跡が認められる。

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海軍伝習所跡の石標 日本最初の科学技術教育機関でもあった

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熊本城の石垣

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雷山神籠石の北水門。海抜400mの渓谷にある強固な石積で三つの通水孔を持つ。本格的調査は行われていない。

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〔中〕山方町諸沢に今も残る中島藤右衛門の生家 山深い里で農民のための新技術が生まれた

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薩摩藩の御手伝普請により宝暦5年完成した千本松締切堤 完工当時植えられた松が 揖斐川の流れに濃い影を落としている

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三井取入所跡に保存されている沈澄池 長さ64m 幅2.6m 深さ1.4~1.8m 側壁は煉瓦造り 底部はコンクリート

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飛理原理発見の地,樅ノ木峠に立つ二宮忠八顕彰碑。大正15年建立(碑文は大正14年),題字は「魁天下」

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最終更新日:

登録日: 2021-07-21