(何分早々飛脚相立、朝宮岩堀氏頼み万端相談申すべく書簡)
- People
- Owner Organization

早飛脚廻りにてくわしき所本しらべ大地震

(未だ閉門中、例の飛脚屋へ相頼5両廻し申候間落手ならるべく等書状)

(4両、絹裏木綿袷1ツ例の飛脚屋へ相頼差出し申候、金5両宿屋より相廻り候ニ付伊丹へ預ケ置、書状)

(先日御談候カテーテル、漸々出体伊勢屋方へ相頼差上候間、落手下さるべく書状)

(助郷勤高の分入用に付、当役所宛の書付に調印した上、この飛脚に相渡越すべき旨)

(病児容体、午後お伺相談すべく、今朝は種痘日取込中の為、書状)

(江州へ遣候名代帰着、頼談の調達金相整、名代武大夫請取申候、等書状)

(御未光の処失敬、在所より飛脚にて金5両相廻り、うち2両奥村直作へ返済、残金此度相送り候間落手ならるべく書状)
米穀過不足如何 (一〜三) : 山本農相の主張不徹底=主として外米輸入に拠るべし=端境期の需給関係如何=加賀宇之吉氏観測

公使より三条公に面談申込の処病気の為岩倉公代りて面会すべき旨返書

(銀子持たせ下され候得ども先方甚だむつかしく、追付相談申上げべく書状)
![第十番(其先生不在にて勉学不都合の由、かつ雑用日増に多き由一旦帰国の旨奥村と相談あるべく、我身先日よりガストリセ[胃炎]等にて伏枕、福井笠原相頼服薬書状)](https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/archive/ics/viewer/iipsrv.fcgi?IIIF=/2777047/3257554/3257554_0000001.jpx/full/!110,100/0/default.jpg)
第十番(其先生不在にて勉学不都合の由、かつ雑用日増に多き由一旦帰国の旨奥村と相談あるべく、我身先日よりガストリセ[胃炎]等にて伏枕、福井笠原相頼服薬書状)
師団長閣下が工夫頭 : 参謀が工夫に早変り : 独逸も仏国も軍人や学者がドンドン産業界へ飛び込む : 長岡外史中将の新帰朝談

第弐番(当時先生翻訳の麻疹の口授差上候、江戸・佐倉迄月両度ばかり必飛脚あり、ズーフの辞書求めたく代料は8両2・3分、御上の手元へなりとも願申べきか、書状)

別紙(先便申送候一件、久保氏へ頼談のことと遥察、少々宛にても大至急運送相成る様書簡、裏面ロンド宛先「英国倫敦日本大倉組」)
![覚(杉1本[長9間末口8寸]、鯖江領倉谷村より岩本村甚右衛門方へ買求、三国迄川下いたし売払申度、川陸無滞相通べく達書)](https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/archive/ics/viewer/iipsrv.fcgi?IIIF=/2016019/3078232/3078232_0000001.jpx/full/!110,100/0/default.jpg)
覚(杉1本[長9間末口8寸]、鯖江領倉谷村より岩本村甚右衛門方へ買求、三国迄川下いたし売払申度、川陸無滞相通べく達書)
「恋飛脚大和往来 浅尾勇次郎 七役相勤申候」「役名 [か]めや忠兵へ はり立の道庵 荷持こふの伝ばゝ つるかけの土地兵衛 にわかぶげん福右衛門 [ 村]の孫右衛門 [ ]の水右衛門」
「恋飛脚大和往来 浅尾勇次郎 七役相勤申候」「役名 [か]めや忠兵へ はり立の道庵 荷持こふの伝ばゝ つるかけの土地兵衛 にわかぶげん福右衛門 [ 村]の孫右衛門 [ ]の水右衛門」
此際彼れ是れ申度ない 斎藤総督の談/世論の帰趨を眺めるのみ 市来蔵相談/雁首のスゲ換が穏当 青木信光子談/やはり政友会擁護内閣か 江木千之氏談/結局は中間内閣? 和田豊治氏談/今は言うべき時でない 加藤内閣の功績 仲小路廉氏談/子の為に遺憾に思う事 若槻礼次郎氏談/後継内閣は問題でない 武藤山治氏談/政友会幹部の凝議 今二十五日午前と午後に/岡野氏呼声と其因由 馬場長官法相の諒解を求む
根本に触れて居らぬ : 感心せぬ政府の行り口 : 端境期に差迫った今日になって一片の訓令!果して何程の効果があるか : 節米も代用食も要するに上流に対しての戒めのみ : 仲小路前農相の談
![[日記・野帳]「庄川筋砺波郡金屋岩黒村領端より弁才天迄絵図定検地御奉行木村左助様より至テ内密ニ而相調申ニ付諸事留帳,分間絵図野帳」寛政十一年六月二十二日](https://adeac.jp/items/imizu-shinminato-mus/catalog/mp104700-15100/2-2-0014_00.jpg)
[日記・野帳]「庄川筋砺波郡金屋岩黒村領端より弁才天迄絵図定検地御奉行木村左助様より至テ内密ニ而相調申ニ付諸事留帳,分間絵図野帳」寛政十一年六月二十二日

(御意之写此度江戸表御固場江仰出候ニ付俄ニ調達為及頼談夫々手配り致居候処御静謐ニ相成候段申来不及出金候得共心配之廉も有之ニ付葛袴一具被下置候)
「一世一代口上 中村歌右衛門」「これより一世一代の口上を申上奉り升る 私義去冬顔見世は京都の約束致升たる所 病気にてアノ方を行申升て二の替り狂言差出し升たる所 又々病気さし起り其上江戸表にて九化の所作事仕升たる所 左りの足をけが致しあの方にてはなんばと申所せ(ひ)なく其まゝおして相勤升る 其怪我か折/\起り升て狂言中ばにて足の工合そこね升る事厶り升るなれども只今にては私功者になり升てそくざにはめ升れば又々狂言も出来升なれども 右病気故芝居之休日はあれこれ名医を頼升て養生致升る所 表よりはどふじや/\と尋ねに参り升る 親類ども打寄り是てはどふも表へすまず傍ばい共へも相済ぬゆへ なんで有ふと舞台を引くがよいと申升る 私も五十には二三年も間も厶り升 中/\一世一代致したふは厶り升んなれどもこう病気/\では所詮勤らぬ事なれば先中山文七殿五十才にて一世一代致され升たが役者共のよい手本て厶り升る 夫をまねび升て中村鶴介に三番叟の役を相勤させ升る これは文七殿一世一代の時泉川☆蔵中芝居より参り三番叟役相つとめ升たるかたを取升て厶り升る 私も首尾よふ舞納め升て江戸表におり升る関三十郎 此者は中村歌助と申升てわたくし弟子に厶り升る 此者に歌右衛門をゆづり 鶴助に芝翫をゆづり升て私は加賀屋市兵衛と改め素人に相成升たなれば市兵衛どふじやかはる事はないと御尋下さりませ 鰕十郎は幼少より兄弟ぶんに相成をり升れは此度一世一代仕升るに付なぜ相談はしてくれぬと涙こぼしていふてくれ升 中/\私も引たふは厶り升んなれ共病気故の事で厶り升る イヤ/\あれはあのやうに一世一代して又二三年の内に出るで有ふと思召御方も厶り升ふが中々大坂へは出升ぬ たびへは弐三年も参るつもりで厶り升 又々出るやうなさやうなみじゆくな私でも厶り升ん私弟子四十人から厶り升れは女形の□□は三光歌六におさとうし升るで厶り升る 是におり升る忰共又は弟子共の義御頼申度は厶り升れと余り長事申上ケまするとかへつて御たいくつと何事も申升ん 今月一ぱい仕り升れはあれも幼少よりなしみの事じやかつは大坂のぐわいぶんじやとおふせ合され升てたゞヱイトウ/\と御見物の程おそれなからすみからすみまでずいと奉希申上升る
Last Updated: 2021-07-07T01:00:14
Uploaded: 2025-03-06
