
九州第17甲 自 下松球ヲ村字段 至 有川村

説明書(筑前国州会ヲ開会シテ国会ノ開設及条約改正之儀ニ付政府ヘ請求スル建言ノ説明書)

在外公使館ノ参考用トシテ配布シ来リタル本学一覧其他ノ書類中代価支弁ヲ要スル分ハ自今送付ニ及ハサル件

会計課長ヨリ本学所属土地建物検閲ノ成績会計課委員長ノ具申中十二番教師館裏手ノ垣破損其他注意ヲ要スル事項処理方二付通牒

「豊臣昇進録」 「秀吉自裘主為都紫の大徳寺に大会を設るの日 勝家一益等信孝を勧て一の焼香たらんとせし時 秀吉銘々か惰を責 幼主三法師を第一の席に昇たり」 「佐久間玄蕃盛政」「中川世平清秀」「蜂谷兵庫頭」「花房近江守」「筒井須慶」「直江山城守」「谷川市之丞」「中島主馬」「福原越後守」「森勝蔵文一」「塩川伯耆守」「堀久太郎秀政」「平野権平長康」「形切祐作且元」「活田勝三郎信輝」「左枝又左衛門年家」「槽谷助右衛門」「石川兵助忠朝」「加藤孫六義明」「福島市松正則」「秋坂甚内安治」

慶應義塾は単に一所の学塾として自から甘んずるを得ず。其目的は我日本国中に於ける気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、之を実際にしては居家、処世、立国の本旨を明にして、之を口に言うのみにあらず、躬行(きゅうこう)実践、以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり。 以上は曾て人に語りし所の一節なり 福沢諭吉書 ※明治29年11月1日開催の慶應義塾旧友会における演説の一節。その演説は同年11月3日の時事新報紙上に社説として掲載された。慶應義塾では、この文章を「慶應義塾之目的」と称している。
Last Updated:
Uploaded: 2020-12-17