
倉庫につまれた下駄の山
山海愛たい図会 しまたになってみたい

〔「進水迄の山城」に挟み込まれていたメモ類〕

〔中〕降ろされた新米は 検査を受けて続々倉庫に搬入される
疲れて居たポアンカレ氏

山居倉庫の内部 梁は洋小屋組み 現在は屋根裏に断熱材を入れたりしている 1棟に約1,200tの米が収容される

芝居等が行われていた大黒座

女みたいに乗ってくれ

山居倉庫

斑れい岩(インパラまたはブリシブル) : 斑れい岩(インパラまたはブリシブル)

「山海愛たい図会」 「しまたになつてみたい」「伊豫長浜 章魚」

風にまぎれて

「めでたいづゑ」 「まけてもらいたい」「四十七」「大隈」「榑板(くれいた)」
風呂敷(文書が包まれていたもの)

急御用(桜間村まで御用石運搬指示について)

蝶々が非常に大きく,花やかに彩色されている.またすべて正面向きに描かれている

多摩に生まれて

比叡山麓一帯は花崗岩系の石材に恵まれていた 遠景は穴太石工が石を切り出していたといわれる壺笠山

1 餌にさそわれて,引堀にはいってきたカモたち

隠れていまし給ふ神

七つのリトグラフ 2(たまたまモナ・リザに似た少女がいても…)

きれいに磨かれたロール

100%京都生まれのビールを!

川岸に捨てられたごみの山

琵琶湖の流出量を調節する瀬田川洗堰(大津市南郷) 手前は明治38年に設けられた旧堰の遺構 遠景は昭和36年完成の新堰

城郭のような構えの西江家(坂本) 宝暦年間から本山鉱山で磁硫鉄鉱を採掘し ローハ(弁柄の原料)の製造を行ってきた 中野の広兼...

三隅川(筑後川上流)に沿う日田の街並み 対岸が大蔵永常の生まれた旧紺屋町あたり

〔石川県塩屋港〕大聖寺川を利用した河口港 少し上流の瀬越港とともに北前船主の根拠地として有名であった

大野港 かつては隣の宮腰(現在の金石)とともに北前船の出入りでにぎわった

大津市三保崎の取入口(左)とその奥にある制水閘門 湖水の増減にかかわらず一定量が流れ込むよう調節する 右側(南側)は通船用の...

〔右〕水田へ配水するため土盛りをして水を通したつきぜき(築堰) 現在はその上にコンクリートの溝渠を通して同じ目的に使っている...

右上は同じ地点で見た現在の製鉄所跡。

〔左〕見沼代用水東縁の水路(岩槻市上野田付近) 見沼代用水は今も埼玉県東部の水田地帯をうるおしている

開拓の村入口の旧札幌停車場 昭和26年まで札幌市民に親しまれた米国風スティックスタイル様式 明治41年の建築を80%に縮小し...

〔右〕裏側から見た福永家住宅 左手前から土蔵・離座敷・主屋・釜屋など 塩を積んだ上荷舟が往来した水路も残る

木曾川にのぞむ八百津町 古くから木曾川舟運の終着地として繁栄した所で 今もその歴史の風格をたたえた静かな町である

京都府久御山町の宇治川(淀川中流) 対岸は京都市の淀地区で宇治川と桂川を分離するために築かれた“淀堤”が続いている

〔右〕浅田義一さんの水車(直径約4.8m)先代から80年以上も続く最古参の業者だ

愛知県新城市桜渕の河港(川岸)跡 新城は馬背による陸運と豊川舟運との接点で 信州中馬や三州馬が付けてきた荷は ここから舟で吉...

本庄市久々宇の通称「第三樋管」 明治19年に新設された取入口だったが 現在はさらに上流からの導水路がここで利根川堤防をくぐる

中部電力小里川第一発電所(岐阜県瑞浪市) 大正11年 多治見電燈所により建設され ペルトン社製水車とGE社製発電機で発電を開...

新日本製鐵釜石製鐵所。高炉の火は止まったが,明治9年の民営製鉄所創業以来,総出銑量は4,650万tに達した。日本鉄鋼業の先駆...

比叡山麓一帯は花崗岩系の石材に恵まれていた 遠景は穴太石工が石を切り出していたといわれる壺笠山

京都駅前の京都タワーから東側を見る 現在の東海道本線・新幹線は鴨川を渡ってすぐ東山トンネルに入るが 最初の京都・大津間鉄道は...

現在の堺市戎島町かいわい 明治3年に操業を開始したわが国2番目の機械紡績工場(薩摩藩の堺紡績所)はこの対岸のあたりにあった ...

佐田盆地の現況 佐田川の対岸が佐田の集落 その右に見える森が反射炉のあった宮の台(佐田神社) 前方の剣ノ木山に向けて大砲の試...

洋式燈台のさきがけとなった観音崎燈台 現在は14万カンデラの光度で20海里の沖まで照らす

樺崎砲台の記念碑と往時の面影を残す石垣(右) 安政2年の築造で設計には村田蔵六も関係したらしい
最終更新日:
登録日: 2021-07-29
