議会開設五十年記念式典 : 畏し天皇陛下親臨 : 誓い奉る翼賛の新使命

大行天皇皇太后陛下ノ御真影ハ追テ何分ノ通知候迄従前ノ通奉安相成度旨通牒ノ件

六呂師村より山論所之内江当村人共之内伐苅仕候様被申上候ニ付私共御召出願書之趣御読聞被為遊奉承知、乍恐左ニ奉申上候
朝鮮軍も出動し全満洲を軍事占領! : 支那側の暴慢に憤慨し皇軍積極行動に決す : 奉天本社特電【二十一日発】

一筆啓上仕候(荷物支配方相替ず御厚配を願上候、奉書不引合の儀ニ付複数(符号)殿追々出府、値上一条頼談等ニ付書状案)

(京師寸情追々お分りならるべく、今度橋本上坂、蘭学家にかた付け、応接なられるは行違、彼が情をよく聞取相談仕度、書状)
昭和二年十月十一日十九日十二月七日三回臨時帝室編修局ニ於テ明治天皇陛下ニ関シ明治十三年ヨリ明治四十五年崩御ノ際迄親敷奉仕シタル事績ヲ追想シ講演ノ手扣
昭和二年十月十一日十九日十二月七日三回臨時帝室編修局ニ於テ明治天皇陛下ニ関シ明治十三年ヨリ明治四十五年崩御ノ際迄親敷奉仕シタル事績ヲ追想シ講演ノ手扣
昭和二年十月十一日十九日十二月七日三回臨時帝室編修局ニ於テ明治天皇陛下ニ関シ明治十三年ヨリ明治四十五年崩御ノ際迄親敷奉仕シタル事績ヲ追想シ講演ノ手扣
昭和二年十月十一日十九日十二月七日三回臨時帝室編修局ニ於テ明治天皇陛下ニ関シ明治十三年ヨリ明治四十五年崩御ノ際迄親敷奉仕シタル事績ヲ追想シ講演ノ手扣
昭和二年十月十一日十九日十二月七日三回臨時帝室編修局ニ於テ明治天皇陛下ニ関シ明治十三年ヨリ明治四十五年崩御ノ際迄親敷奉仕シタル事績ヲ追想シ講演ノ手扣
琿春出兵通告 小幡公使より支那政府へ (東京電話)/大総統令出づ (北京九日発)/鴨緑江沿岸の不穏 (奉天特電十日発)/不逞鮮人蠢く 其後の間島状況 (東京電話)/大庭中将急遽帰任/過激派の魔手か 上林咸鏡北道長官談 (清津特電)/琿春死傷者
「一世一代口上 中村歌右衛門」「これより一世一代の口上を申上奉り升る 私義去冬顔見世は京都の約束致升たる所 病気にてアノ方を行申升て二の替り狂言差出し升たる所 又々病気さし起り其上江戸表にて九化の所作事仕升たる所 左りの足をけが致しあの方にてはなんばと申所せ(ひ)なく其まゝおして相勤升る 其怪我か折/\起り升て狂言中ばにて足の工合そこね升る事厶り升るなれども只今にては私功者になり升てそくざにはめ升れば又々狂言も出来升なれども 右病気故芝居之休日はあれこれ名医を頼升て養生致升る所 表よりはどふじや/\と尋ねに参り升る 親類ども打寄り是てはどふも表へすまず傍ばい共へも相済ぬゆへ なんで有ふと舞台を引くがよいと申升る 私も五十には二三年も間も厶り升 中/\一世一代致したふは厶り升んなれどもこう病気/\では所詮勤らぬ事なれば先中山文七殿五十才にて一世一代致され升たが役者共のよい手本て厶り升る 夫をまねび升て中村鶴介に三番叟の役を相勤させ升る これは文七殿一世一代の時泉川☆蔵中芝居より参り三番叟役相つとめ升たるかたを取升て厶り升る 私も首尾よふ舞納め升て江戸表におり升る関三十郎 此者は中村歌助と申升てわたくし弟子に厶り升る 此者に歌右衛門をゆづり 鶴助に芝翫をゆづり升て私は加賀屋市兵衛と改め素人に相成升たなれば市兵衛どふじやかはる事はないと御尋下さりませ 鰕十郎は幼少より兄弟ぶんに相成をり升れは此度一世一代仕升るに付なぜ相談はしてくれぬと涙こぼしていふてくれ升 中/\私も引たふは厶り升んなれ共病気故の事で厶り升る イヤ/\あれはあのやうに一世一代して又二三年の内に出るで有ふと思召御方も厶り升ふが中々大坂へは出升ぬ たびへは弐三年も参るつもりで厶り升 又々出るやうなさやうなみじゆくな私でも厶り升ん私弟子四十人から厶り升れは女形の□□は三光歌六におさとうし升るで厶り升る 是におり升る忰共又は弟子共の義御頼申度は厶り升れと余り長事申上ケまするとかへつて御たいくつと何事も申升ん 今月一ぱい仕り升れはあれも幼少よりなしみの事じやかつは大坂のぐわいぶんじやとおふせ合され升てたゞヱイトウ/\と御見物の程おそれなからすみからすみまでずいと奉希申上升る
Last Updated: 2025-07-22T01:00:29
Uploaded: 2025-07-23