
(田畑灌漑用喞筒宣伝)

灌漑ト畑作物
朝鮮の水田と灌漑
[灌漑用水源]

那須疏水公園パノラマ

田ノ灌漑排水ニ関スル状況調査

那須疏水 : 磯忍写真集

那須疏水旧取水施設 東水門

那須疏水旧取水施設 西水門
大灌漑設計成る(大規模の深川灌水溝) : (大規模の深川灌水溝)

地下水を利用せる電力灌漑事業

那須原疏水線実測全図

那須疏水測量に使われた水準器。西那須野町品川進二氏蔵。
明治年間灌漑排水事業資料
土壌水分動態を考慮した畑地灌漑用水量の決定手法
灌漑用水問題 : 食糧増殖の要件
鮮米増収計画 : 先ず水利灌漑設備
水利灌漑と朝鮮の米作 : 新水利組合令の発布に就て

広須新田谷水村田畑御検地帳
他人の所有地より湧出する流水灌漑の慣習

農業用揚水機ニ関スル調査 : 附・田ノ灌漑排水ニ関スル状況
「各流域灌漑地調」 三和村・岩村・立田村・田村

畑田井水
那須疏水旧取水施設 東水門 西水門 導水路及び余水路

京都府久御山町の宇治川(淀川中流) 対岸は京都市の淀地区で宇治川と桂川を分離するために築かれた“淀堤”が続いている

愛知県新城市桜渕の河港(川岸)跡 新城は馬背による陸運と豊川舟運との接点で 信州中馬や三州馬が付けてきた荷は ここから舟で吉...

〔左〕西尾市中畑付近の矢作川 かつての舟紡績の最大の中心地で数十そうの水車舟が浮かんでいた

埋め立てられ 水門だけが残る塩田跡 今も地表に塩分が上がってくる(鳴門市高島)

中城城二の丸の城壁 蛇行する石塁とその上の胸壁に本土の城郭にはない大陸的な技法が感じられる 築城年代の遅い中城城は沖縄の城の...

〔左〕見沼代用水東縁の水路(岩槻市上野田付近) 見沼代用水は今も埼玉県東部の水田地帯をうるおしている

燈明崎突端の山見跡 ここから旗で各船に合図や指示を送った 前方は熊野灘

吉井川中流の河港本和気(和気町)には舟番所もあった 河岸は改修されているが舟着場の面影を残す 川倉も残っている

取入れ口から1km余。院内町宅畑付近の広瀬井手。山腹に沿ってゆるやかな勾配で開削され,津房川(左)との比高が次第に開く。

かつては湛水田とアシの茂る沼だった土地も 長年にわたる排水工事の成果で乾田化され 実り多い秋を迎えている

木曾川にのぞむ八百津町 古くから木曾川舟運の終着地として繁栄した所で 今もその歴史の風格をたたえた静かな町である

現在の堺市戎島町かいわい 明治3年に操業を開始したわが国2番目の機械紡績工場(薩摩藩の堺紡績所)はこの対岸のあたりにあった ...

グラバー邸。文久2年ごろの建築とされる。内外の商人・政治家が出入りして、策謀の基地となった。

佐田盆地の現況 佐田川の対岸が佐田の集落 その右に見える森が反射炉のあった宮の台(佐田神社) 前方の剣ノ木山に向けて大砲の試...

〔左〕福永家住宅に隣接する塩田跡(約6,500■(m2、平方メートル))も重要文化財に指定されたが こちらはまだ復元修理され...

鹿島町恵曇の湊橋から見た佐陀川 宍道湖を起点に島根半島を横断してきた佐陀川は 前方の恵曇港で日本海に出る この恵曇港も 佐陀...

かつて鋭角的な偉容を見せていた忠隈炭鉱のボタ山(穂波町)も今は緑に覆われ おだやかな自然の一部と化した 高さ110m

布引貯水池 堤頂は海抜212m 遠く神戸港が見渡せる ここ布引谷は神戸の近代水道発祥の地である

〔右〕潮来河岸跡(茨城県潮来町) 近世初期は海船から川船への中継港であった

由良台場跡(大栄町) 文久3年鳥取藩が設けた西洋式海岸砲台 武信潤太郎が設計・工事監督に当たり 六尾反射炉で鋳造した砲を据え...

渡部から見た大河津分水 文化年間の間歩堀はこの河道に当たる所を通っていたはずだが 分水開さくで全く消滅した

琵琶湖の流出量を調節する瀬田川洗堰(大津市南郷) 手前は明治38年に設けられた旧堰の遺構 遠景は昭和36年完成の新堰

稲佐山から見た長崎市街 幕末の長崎製鉄所は手前の造船所の位置に建設された

〔右〕前記の山頂から大津市街と琵琶湖を見下ろす アンテナ塔のある電話局の近くに大津米会所があった 山頂との距離約4km
最終更新日:
登録日: 2021-07-21
