
左は藍づきの光景 ■を臼でついて藍玉を作った(三木文庫所蔵図録)(■はくさかんむりに染)

コワニーが築造した旧製鉱所の正門 昭和52年に金香瀬の“史跡生野銀山”入口に移設した 菊花紋章と石柱の威容に官営鉱山の名残を...

藍こなし 刈取った葉はその夜のうちに刻み 翌朝ムシロに広げて乾燥しながら唐竿でたたいてこなした(同上)

史跡公園(史跡出雲玉作跡・宮垣地区) 手前は復元工房 右奥は71CII号工房跡の保存施設 左奥は出雲玉作資料館 ここは他の2...

〔右〕前記の山頂から大津市街と琵琶湖を見下ろす アンテナ塔のある電話局の近くに大津米会所があった 山頂との距離約4km

350年間絶えることのなかった水 五郎兵衛新田の豊かな実りは今年も約束されている

グラバー邸。文久2年ごろの建築とされる。内外の商人・政治家が出入りして、策謀の基地となった。

那須疏水取り入れ口(黒磯市西岩崎)。正面は昭和3年改築の石造取り入れ口。左は昭和51年に完成した新頭首工。

埋め立てられ 水門だけが残る塩田跡 今も地表に塩分が上がってくる(鳴門市高島)

権現堂堤修復絵馬(105×182cm)部分 明治28年 埼玉県幸手町熊野神社 官員さんの監督のもとに 土端打ち・杭打ち・土運...

沼津兵学校や附属小学校の生徒が水練に励んだ狩野川

元宇品から北へ約2km続いている石垣 昭和期に改築したため昔のままの堤防ではないが宇品築港当時の築堤の線を示す間接的な遺跡

現在の磯 右手に異人館がある 地形は変わらないが昔の薩摩藩工業基地の面影はない

輪島の朝市

比叡山麓一帯は花崗岩系の石材に恵まれていた 遠景は穴太石工が石を切り出していたといわれる壺笠山

〔上〕盛業時の日本鉱業日立鉱業所本山の全景 山の斜面に建つのは選鉱場 現在の日鉱記念館の位置は右奥の区域で第1竪坑が見える

民営時代に池田地方の有力刻み製造業者であった内田岸太郎の建物(中央) 民営工場は全国に多数あったが この種の建物で残存する例...

谷地地方(西村山郡河北町)は,紅花生産・流通の一中心地であった。紅花豪商として知られた堀米家の屋敷が,紅花資料館として公開さ...

愛知県設楽町萩平の元問屋平松家 付通しの中馬は宿を通過したが 地元の荷を集めたり中継したりする問屋が各地にあった

愛知県新城市桜渕の河港(川岸)跡 新城は馬背による陸運と豊川舟運との接点で 信州中馬や三州馬が付けてきた荷は ここから舟で吉...

藤沢谷(板山付近) 杖突峠に至る谷あいの村々から多くの石工が旅稼ぎに出ていった

中津江村鯛生集落の上から東方を望む 右に連なる大きな山塊は酒呑童子山 前方の谷が鯛生川 遠く九重山も見える 深い山なみに囲ま...

至るところに豪快な石積みの遺構が見られる観音寺城跡(平井丸正面) 穴太石工が参加した最初期の城郭工事かと思われる

燈明崎突端の山見跡 ここから旗で各船に合図や指示を送った 前方は熊野灘
最終更新日:
登録日: 2021-07-21




















