
大久保長安の墓(逆修塚)かれの死後こわされたが江戸時代後期に再建された 銀山の繁栄再来を願っての供養なのだろうか

製鉄所裏山の尾根に祭られた山神。祠の鋳鉄製柱に「明治八年乙亥三月十九日」の文字が刻まれており,製鉄所の操業開始の時期を暗示し...

“慶寿の堀切” 江戸時代に銀鉱の露頭を掘り取った跡 初期の銀山ではかなりの富鉱が地表近くに顔を出していたらしい

右は釜屋間歩 慶長の初め安原伝兵衛が開発

佐田神社本殿裏の煉瓦塀 反射炉跡から採取した煉瓦で築かれた 炉内にあった部分らしく焼けただれており高温での操業を思わせる

海軍伝習所跡の石標 日本最初の科学技術教育機関でもあった

右は今帰仁城平朗門(国頭郡今帰仁村) 野面積みによる古い城だが規模は首里城に次ぐ

坂本の町の至るところで見られる “穴太衆積み” 大津市文化財に指定されている

久米通賢の墓(引田町馬宿)

左は窯跡の上方にある山神の祠 屋根や階段まで煉瓦で造ってあり明治8年の祈願文を刻んだ煉瓦板が納めてある

反射炉煙突の上部は煉瓦で組み上げてある 煉瓦は地元の小畑焼の窯で焼かれたという 西側煙突の先端は明治28年の地震で崩壊した

明治11年12月の遭難事件の死者を追悼する漂流人記念碑 太地港を見下ろして立っている

長野県辰野町七蔵寺裏の百体観音 元は旧伊那街道沿いに旅の安全を願って立てられたもの(造立年月不明) 中馬関係者の刻銘が多い

右は炭鉱の苦役で死亡した空知集治監の囚人約1,000人を祭った「合葬之墓」(三笠市柏町) 左側に並ぶのはここで獄死した自由党...

「紡績址」の碑(磯) この左手一帯が鹿児島紡績所の敷地であった 手前は紡績所正門に使われていたという傘石

江川英龍が築いた韮山反射炉は 主として梨本産白土を原料とする耐火煉瓦を使った

〔左〕反射炉の北側下部 二つの穴は並列する溶解室に接続していた部分と思われる 煉瓦の崩壊と後の補修で原形が分かりにくくなった...

右は宇品新開地記念碑 築堤の起点に近い千田公園にある

左は南牧村羽沢の五郎兵衛墓 遺髪を収めてある

勝連城(中頭郡勝連村) 築城年代は不明 1458年の阿麻和利の乱で破却された 中城湾を見渡す山上に本丸石塁が建つ

ガラ紡の発明者 臥雲辰致をたたえる記念碑(岡崎市郷土館) 大正10年の建立

道祖神 穂高町

中城城(中頭郡中城村) 座喜味城に続いて護佐丸が築いた名城 アーチ門を囲む壁面の湾入などに沖縄城郭の特徴がよく表れている 戦...

旧睦沢学校 明治8年完成 藤村式建築の代表といわれる 昭和32年まで80年間校舎として使い41年甲府市武田神社境内に移築 現...
最終更新日:
登録日: 2021-07-29
























