「河野棹舟下絵 16」 (上半身を乗り出した男)

和そば 蓼川
そばきり集

うた川稲荷
「月流娘踊」 「三ばそう」

風流花ばたけ

宇陀川のそばを通る街道
慾の川乗合ばなし

布あそび「しばた」

木曾川にのぞむ八百津町 古くから木曾川舟運の終着地として繁栄した所で 今もその歴史の風格をたたえた静かな町である

正直咄大鑑 / 石川流舟 (流宣)作

正直咄大鑑 / 石川流舟 (流宣)作

そのをりをり
「辻君」「夜そばうり」

そば麦切り庖丁
「そばうり宗兵衛」
「そばうり宗兵衛」

そばの花ざかり

記(そば、たばこ、宿泊、酒代等)

嫁入りの荷物をのせたトラック
Hamburg Alfterpartie beim Uhlenhorfter Fährhaus ハンブルク船乗り場のそばでボート遊び

「風流子供遊尽」 「三ばそう」

越中舟橋ばんどり太鼓

テムズ川の船乗り

津山に3か所あった舟着場の一つ 明石屋淵(安岡町裏)の常夜灯 金毘羅大権現と文化十五寅年の文字が彫られている

〔右〕アーチ形の満濃池堤防 右端は弘法大師修法の場と伝えられる護摩壇岩

左は現在の第2酒匂川橋りょう(御殿場線山北・谷峨間)六郷川から移されたワーレントラスは昭和40年にプレートガーダーに取替えら...

今は操業をやめている三津谷の樋口煉瓦工場 この登窯で喜多方地方の建築用煉瓦や瓦の需要を一手に引き受けていた

松江市浜佐陀町の佐陀川起点 前方が宍道湖 佐陀川は200年前の開削以来 宍道湖増水時の沿岸の水害を防いできた

〔右〕裏側から見た福永家住宅 左手前から土蔵・離座敷・主屋・釜屋など 塩を積んだ上荷舟が往来した水路も残る

巴波川に沿う栃木河岸(栃木市)は 日光例幣使街道との接点に当たる 木材回漕問屋塚田家の蔵などに河岸繁栄の面影がある

郡山市逢瀬町地内の安積疏水 最近の改修工事で水路は全線にわたってコンクリートの護岸が施され すっかり様子が変わった

閉山した■原鉱山 吉井川高瀬舟の最後の荷はここの鉱石であった(■は木へんに册)

吹屋西端の千枚の家並み 銅山が盛んなころ 千枚には坑夫相手の飲食店が多かったという 手前左は山神社の入口で 狛犬が見える

中川運河の中川口閘門 長さ110m 幅11mの閘門と開き戸式水門を備える 戦前の最盛期には1日平均200隻の船が出入した

山科運河 山科盆地北側の山麓をめぐってゆるやかに流れる 両岸には遊歩道が続き市民の憩いの場になっている 数か所にかんがい用の...

1万トン級の船舶が通過できる三池港の閘門。閘門の鋼鉄製門扉(写真では左右に開いて堤体に密着している)は、1枚の長さ12m、高...

「五万石でも岡崎さまはお城下まで舟が着く」と古謡に歌われた岡崎城 下を流れるのは菅生川

〔右〕満濃池 現在の取水塔は昭和51年に建設された

鹿妻穴堰頭首工 国営雫石川沿岸農業水利事業により昭和46年度に完成 在来の穴口堰に代わり総延長109mの横断堤で毎秒最大16...

現在の穴口堰頭首工(上流側より望む) 剣長根の岩脈は川岸で削り取られて慶長以来の旧穴口堰は消滅 代わって鉄筋コンクリートの近...

中は熱田湊常夜燈(名古屋市熱田区神戸町) 七里の渡の安全のため寛永2年に創建された

愛知県知多半島の南端,片名(南知多町)の漁港で見かけた島田錨(唐人錨型)。このあたりの漁船は,潮の強い海域で操業するせいか,...

〔左〕北上運河と旧北上川の分岐点(石巻市)に設けられた水位調節用の石井閘門(時の土木局長石井省一郎の名をとった) 日本最初の...

復元修理された福永家住宅(鳴門市高島) 左からかん水溜・釜屋・主屋が並ぶ 江戸時代後期の建築で入浜式製塩設備の遺構として唯一...

太田川デルタ地帯にある広島は、河川舟運による物資の集散が便利で、藩政時代から様々な産業が発達した。

右は現在の坂出市西大浜 入浜塩田の盛期には水路の両岸に釜屋が建ち並び塩を運ぶ上荷船が行きかっていた

吉井川舟運の終点としてにぎわった西大寺 対岸は裸祭で有名な観音院 舟着場はその前にあった
最終更新日:
登録日: 2021-07-21
