
斜め網代
露天掘衰退に伴い坑内掘の大発展へ : 各坑に大堅坑、大斜坑を開鑿 : 撫順の新採炭方針
石油採掘増加
年度別採掘坑内図
支那油田採掘権 [社説] : [支那油坑採掘権問題(米国スタンダード会社獲得) (其十)]
陝西油坑の運命 : [支那油坑採掘権問題(米国スタンダード会社獲得) (其九)]
商工省、積極的に石油試掘を奨励 : 新に坑道掘法も採用
支那の石油坑 [社説] : [支那油坑採掘権問題(米国スタンダード会社獲得) (其十一)]
社会層を掘る
竹藪 杉谷層 採掘計画図
杉谷二尺土間層採掘計画図
北樺新石油会社は採油本位 : 試掘を従とし採油に全力傾倒
日本の油権要求 : [支那油坑採掘権問題(米国スタンダード会社獲得) (其十八)]
北樺太の石油採掘計画すすむ
米国の新油源 : 頁岩採掘に着眼
ス社獲得の石油鉱 : [支那油坑採掘権問題(米国スタンダード会社獲得) (其十九)]
米支石油契約 : [支那油坑採掘権問題(米国スタンダード会社獲得) (其十五)]
油権獲得問題 : [支那油坑採掘権問題(米国スタンダード会社獲得) (其十六)]
油田借款葛藤 : [支那油坑採掘権問題(米国スタンダード会社獲得) (其二十)]
石油権獲得問題 : [支那油坑採掘権問題(米国スタンダード会社獲得) (其四)]
油田獲得と投資 : [支那油坑採掘権問題(米国スタンダード会社獲得) (其三)]
支那油田と我国 : [支那油坑採掘権問題(米国スタンダード会社獲得) (其二)]

斜め取りに網目と筋ぼかし
開□炭坑 採掘を一部停止 : 販売不如意から

竣工当時の開陽丸 バーク型3檣 長さ72.80m 幅13.04m 排水量2,590t 400馬力蒸気機関付き 汽走速力10ノ...

足助町の足助川に沿って残る中馬道 伊那街道の要衝であった足助は 特に塩の中継地点として知られ 明治前期には年間約2万俵 馬数...

樺崎砲台の記念碑と往時の面影を残す石垣(右) 安政2年の築造で設計には村田蔵六も関係したらしい

〔左〕倉賀野河岸跡(高崎市) 烏川にかかる共栄橋北詰に記念碑がある 江戸からの元船はここまで遡った

マインランド尾去沢 広場の奥に観光坑道の入口がある 総合センターの建物の上に長く見えるのは 鉱石運搬用電車の通路

製糸業全盛期の岡谷風景(蚕糸博物館資料より)

(上)木炭運搬軌道の路盤跡。今は桑畑になっている。石垣の下に製鉄所用の水路が通っていた。

〔左〕開削工事中の利根運河 左手前の人物はオランダ人技師ムルデルではないかといわれる

取入れ口から1km余。院内町宅畑付近の広瀬井手。山腹に沿ってゆるやかな勾配で開削され,津房川(左)との比高が次第に開く。

聖地としての沖縄の城は今も信仰の対象で参拝に訪れる人が絶えない(今帰仁城)

院内の家並み 羽州街道の要衝として早くから院内の関が置かれ また後方基地としてその盛衰をともにしてきた町である 遠景は銀山と...

フランス人技師が撮影した記録写真 〔上〕明治元年の横須賀製鉄所全景 船台はすでに使用しているが第1ドックは未完成 その奥が錬...

浅間山麓の緑の中を流れる湯川 奥は昭和33年に完成した御影用水頭首工 ここで分水された農業用水を発電に利用している

竜岡城(長野県南佐久郡臼田町) 日本に二つしかない五稜郭 内側の石垣を伊那の石工 外側の石垣を地元の石工と農民が築いたという...

神奈川県庁前の日本大通り 旧居留地と日本人街の堺に当たる 下水道を含めブラントンに整備された

現在の磯 右手に異人館がある 地形は変わらないが昔の薩摩藩工業基地の面影はない

明治36年に開坑した中野家の機械掘り3号井。今も原油を汲み上げ続けている。左は中野邸。

那須疏水の恵みを受けて行われる田植え作業(西那須野町三区)。疏水は水田灌漑のほか畑地灌漑や上水道にも利用されている。

旧見付学校(静岡県磐田市) 名古屋の堂宮大工伊藤平左衛門の設計・施工で明治8年完成 特異な形の太鼓楼が美しい 現在は磐田市立...

中は大正11年ごろの西大浜塩田風景 沼井へ塩分のついた砂を集める作業(鎌田共済会博物館提供)

史跡公園(史跡出雲玉作跡・宮垣地区) 手前は復元工房 右奥は71CII号工房跡の保存施設 左奥は出雲玉作資料館 ここは他の2...

観光施設となった鯛生金山 駐車場隣のグランドは元鉱滓堆積場 前方はレストハウス・金山資料館など 坑道入口はその奥

大津市三保崎の取入口(左)とその奥にある制水閘門 湖水の増減にかかわらず一定量が流れ込むよう調節する 右側(南側)は通船用の...

〔上〕盛業時の日本鉱業日立鉱業所本山の全景 山の斜面に建つのは選鉱場 現在の日鉱記念館の位置は右奥の区域で第1竪坑が見える
最終更新日:
登録日: 2021-07-29
