
左は逸見波止場衛門。旧軍港入口の衛兵詰所で、ドーム型屋根などに明治末ごろの建築様式を見せる。

関東大震災でも破壊されず 100年後の今も現役として使わている煉瓦造り卵形管(昭和61年10月22日撮影)

80余年間煉瓦を焼き続けた窯の内部 幅・高さとも約2.6mの焼成室16が環状に連なる 左が出入口 右下に見えるのが支煙道

〔左〕高萩市赤浜の長久保赤水旧居(前新屋・長久保甫氏宅)と旧浜街道

五稜郭内にある「武田斐三郎先生顕彰碑」。レリーフの肖像は陸軍大佐時代。

メインデッキ右舷にある明治天皇御座所(3室の内の公室) 壁の板絵は米軍接収の際にペンキで塗られたが 後に丹念に落として復元さ...

慶応2年ごろ完成した西宮砲台を囲む土塁の基礎に使われたもの

右は手筒花火の奉納 肌ぬぎの若い衆が火花を吹く手筒を持って境内を回る(岡崎市甲山八幡宮)

椎根の倉の石屋根

道祖神 穂高町

地下採掘場跡(大谷資料館見学コース) 50年間掘り続けた手掘りの跡が壁面に残る

Havana in 1954

煉瓦は均一に整形された材料ではあるが,その組積みの工夫によって意外に変化のある意匠を生み出す。特に,窓など開口部の表情がおも...

上は茅野市尖石考古館に展示されている黒曜石の原石。東方10kmの冷山から搬出された。重量1tといわれる。

明治11年12月の遭難事件の死者を追悼する漂流人記念碑 太地港を見下ろして立っている

〔左〕築港工事に献身的努力を注いで病死した土木局技師黒沢敬徳の紀功碑(明治17年の建立)

広島県安芸津町・三津窯業(株)のホフマン窯 大正8年築造 昭和53年廃業した 長径(外側)約40mの楕円形で16の焼成室を持...

泳気鐘 手回し起重機で海中に吊り下ろし岸壁の基礎工事などに使用した 100余年を経ながら意外にさびていない

サンティモンの家(サンティモン■■■の家)

各砲台は星形または円形の土塁をめぐらしていた 西宮砲台の土塁の一部は現在も残っている(写真右) 勝海舟は操練所の生徒にこれら...

鳥羽市池上町鳥羽商船高専校内の山口誓子句碑

〔中〕醸造試験所前の稲荷社境内に残る命婦 「水車台師車屋七兵衛」の刻銘がある

〔左〕大宮市片柳の万年寺にある井沢弥惣兵衛為永の頌徳碑 見沼代用水の工事事務所はここに置かれた

(右中)伊豆地方に多いナマコ壁を使った旧岩科学校
最終更新日:
登録日: 2021-07-29





















