
申上覚(芝原村広右衛門病死後聞合書)

芝原村百姓共行着久地申出書之控

勝真肥前二参候節右膳殿二見せ申候覚書入

芝原村久米幸右衛門殿へ勇蔵後家ヨリ倅三喜太一件に付申置候書状控他

申上覚(芝原村広右衛門死亡後家督相続に付出入一件)
![[千葉大学所蔵町野家文書] (久右衛門年貢諸入用皆済覚)](https://khirin-i.rekihaku.ac.jp/iiif/ext/kotehashi/ho/0148.tif/full/200,/0/default.jpg)
[千葉大学所蔵町野家文書] (久右衛門年貢諸入用皆済覚)

申上覚(早渕村善次郎より同村幸兵衛に対し居屋敷境出入行着書)

申上覚(東名東村無役人佐藤久右衛門死亡に付弟岩兵衛より忌中申出書)

御糺二付申上覚(西名東村万五郎より兄磯吉後家並素庭屋幸蔵へ対右後家幸蔵と密通一件に付)

申上添書之覚(東矢野村徳次郎より同村惣太郎後家に対し銀子貸付出入り奉願上右行着糺添書之控)

「人形屋幸右衛門」 「嵐璃寛」「手代久七」「市川助十郎(二代嵐璃寛(あらしりかん)の(にんぎょうやこうえもん)・二代市川助十郎(いちかわすけじゅうろう)の手代久七)」

来ル四月福岡県下江被遊行幸対抗運動御覧済 御帰途本県へ御立寄之節御宿割具材奉御迎諸般布達並聞見別記 扣

伊勢兵部殿状壱通写 忠相様忠親様時久様諸士江被宛行高目録写 御家聞書 翁久様忠亮様御元服之覚書 安宅三河守殿状壱通写 朝鮮入大名衆軍列之次第 忠相様高祥寺江被宛行知行御書之〔写〕

(役者カルタ) 「亀戸天神 山本勘助 嵐吉三郎 のち/\の御出世をまちまする」「花屋しき 新造胡蝶 市村家橘 なんでもはまりますよ」「木母寺 おたね 尾上菊次郎 たしかなことがありますよ」「三めぐり稲荷 衆徒あだちん坊 中村雁八 当時半道のいちまん舟にるゐなし」「山谷玉姫の社 ちりれん坊 坂東嘉知六 おわらひくさだよ」「首尾の松 松永大膳 中村芝翫 あくまでいいよ」「寺島 和尚次郎 市村羽左衛門 うけました江戸つ子のおや玉/\」「あづまの森 木村又蔵 成駒屋 たゞしいものだよ」「柳島 人形つかひ 市村羽左衛門 御工風はべろだんだよ」「一石橋 おはな 市村竹松 おほねをりが見え升」「堀の内 小狐礼三 市村家橘 外にるゐなしでござり升」「五百らかん 鷺坂ばん内 坂東薪左衛門 いつもおもしろさうだよ」「今戸 地廻り三吉 坂東三八 おひおひしゆびがよいよ」「巣鴨 大領久吉 沢村訥升 大ぐわんじやうじゆだよ」「金竜山 石川五右衛門 中村芝翫 ひと目千金」

(役者カルタ) 「亀戸天神 山本勘助 嵐吉三郎 のち/\の御出世をまちまする」「花屋しき 新造胡蝶 市村家橘 なんでもはまりますよ」「木母寺 おたね 尾上菊次郎 たしかなことがありますよ」「三めぐり稲荷 衆徒あだちん坊 中村雁八 当時半道のいちまん舟にるゐなし」「山谷玉姫の社 ちりれん坊 坂東嘉知六 おわらひくさだよ」「首尾の松 松永大膳 中村芝翫 あくまでいいよ」「寺島 和尚次郎 市村羽左衛門 うけました江戸つ子のおや玉/\」「あづまの森 木村又蔵 成駒屋 たゞしいものだよ」「柳島 人形つかひ 市村羽左衛門 御工風はべろだんだよ」「一石橋 おはな 市村竹松 おほねをりが見え升」「堀の内 小狐礼三 市村家橘 外にるゐなしでござり升」「五百らかん 鷺坂ばん内 坂東薪左衛門 いつもおもしろさうだよ」「今戸 地廻り三吉 坂東三八 おひおひしゆびがよいよ」「巣鴨 大領久吉 沢村訥升 大ぐわんじやうじゆだよ」「金竜山 石川五右衛門 中村芝翫 ひと目千金」

(役者カルタ) 「亀戸天神 山本勘助 嵐吉三郎 のち/\の御出世をまちまする」「花屋しき 新造胡蝶 市村家橘 なんでもはまりますよ」「木母寺 おたね 尾上菊次郎 たしかなことがありますよ」「三めぐり稲荷 衆徒あだちん坊 中村雁八 当時半道のいちまん舟にるゐなし」「山谷玉姫の社 ちりれん坊 坂東嘉知六 おわらひくさだよ」「首尾の松 松永大膳 中村芝翫 あくまでいいよ」「寺島 和尚次郎 市村羽左衛門 うけました江戸つ子のおや玉/\」「あづまの森 木村又蔵 成駒屋 たゞしいものだよ」「柳島 人形つかひ 市村羽左衛門 御工風はべろだんだよ」「一石橋 おはな 市村竹松 おほねをりが見え升」「堀の内 小狐礼三 市村家橘 外にるゐなしでござり升」「五百らかん 鷺坂ばん内 坂東薪左衛門 いつもおもしろさうだよ」「今戸 地廻り三吉 坂東三八 おひおひしゆびがよいよ」「巣鴨 大領久吉 沢村訥升 大ぐわんじやうじゆだよ」「金竜山 石川五右衛門 中村芝翫 ひと目千金」

(役者カルタ) 「日本橋 かつをうり 中村芝翫 あいきやうがこぼれ升」「石切がし 五郎太 市村羽左衛門 おぢいさんにそのまゝでござい升」「かまくらがし 百姓弥作 市川左団次 大やくをよくこなされ升」「京橋 都見物左衛門 市村家橘 三都の花かた外にるいなしだよ」「かわら町 鬼門の斎兵衛 河原崎権十郎 ひやうばんがいゝよ」「木下川 坂東太蔵 とり手橘平 しゆびはよいよ」「御厩河岸 与右衛門 市川左団次 あちさりと御上達だね」「枕ばし かさね 市村家橘 ゆめに見たのもよい吉さう」「ゑかうゐん 岩川次郎吉 市川米升 久しいのぞみも叶い升よ」「三河島 ☆杖直方 中村仲太郎 かみしめるとかくべつ」「永代ばし 工藤左衛門祐経 坂東亀蔵 お年よりかげいがわかいよ」「広尾 わるもの太郎吉 坂東元蔵 いつでもおもしろさうだよ」「隅田堤 おいち 坂東あづま おいおいごあんしんごあんしん」「中川 赤坂源蔵 家橘 思ふ願いは●ぶんとゞくよ」「逆井 さがみ五郎 中村仲蔵 しぶいところをかつてゐるよ」
「一世一代口上 中村歌右衛門」「これより一世一代の口上を申上奉り升る 私義去冬顔見世は京都の約束致升たる所 病気にてアノ方を行申升て二の替り狂言差出し升たる所 又々病気さし起り其上江戸表にて九化の所作事仕升たる所 左りの足をけが致しあの方にてはなんばと申所せ(ひ)なく其まゝおして相勤升る 其怪我か折/\起り升て狂言中ばにて足の工合そこね升る事厶り升るなれども只今にては私功者になり升てそくざにはめ升れば又々狂言も出来升なれども 右病気故芝居之休日はあれこれ名医を頼升て養生致升る所 表よりはどふじや/\と尋ねに参り升る 親類ども打寄り是てはどふも表へすまず傍ばい共へも相済ぬゆへ なんで有ふと舞台を引くがよいと申升る 私も五十には二三年も間も厶り升 中/\一世一代致したふは厶り升んなれどもこう病気/\では所詮勤らぬ事なれば先中山文七殿五十才にて一世一代致され升たが役者共のよい手本て厶り升る 夫をまねび升て中村鶴介に三番叟の役を相勤させ升る これは文七殿一世一代の時泉川☆蔵中芝居より参り三番叟役相つとめ升たるかたを取升て厶り升る 私も首尾よふ舞納め升て江戸表におり升る関三十郎 此者は中村歌助と申升てわたくし弟子に厶り升る 此者に歌右衛門をゆづり 鶴助に芝翫をゆづり升て私は加賀屋市兵衛と改め素人に相成升たなれば市兵衛どふじやかはる事はないと御尋下さりませ 鰕十郎は幼少より兄弟ぶんに相成をり升れは此度一世一代仕升るに付なぜ相談はしてくれぬと涙こぼしていふてくれ升 中/\私も引たふは厶り升んなれ共病気故の事で厶り升る イヤ/\あれはあのやうに一世一代して又二三年の内に出るで有ふと思召御方も厶り升ふが中々大坂へは出升ぬ たびへは弐三年も参るつもりで厶り升 又々出るやうなさやうなみじゆくな私でも厶り升ん私弟子四十人から厶り升れは女形の□□は三光歌六におさとうし升るで厶り升る 是におり升る忰共又は弟子共の義御頼申度は厶り升れと余り長事申上ケまするとかへつて御たいくつと何事も申升ん 今月一ぱい仕り升れはあれも幼少よりなしみの事じやかつは大坂のぐわいぶんじやとおふせ合され升てたゞヱイトウ/\と御見物の程おそれなからすみからすみまでずいと奉希申上升る

申上仕様積之覚(サキ台用水積リ書ひかへ)

(書簡・荷物受取案内)他

関東筋凶年ニ付飯物一度粥ニ可口御趣被仰付事他

(書簡・割符仕解について)他

申上覚(下町村出口延命村一宮村両村境川筋橋懸について)

申上覚(組村年貢皆済について)他

堤御普請処自立取立添書他

延命村堤損田状勧農御積方様へ指上ル控

文化度身居り御書附写し

(府中村虎之助方より喜三郎より請有之幼女病死に付聞合書控)他

金岡新田煙硝方才判人より申上書写他

煙硝方存寄立木様ニ指上控

東矢野村役人共証文ニ印形不仕迷惑之旨西矢野村百姓共より願出行着添紙之控他

延命村清蔵居屋敷ニて上山村浅次郎妹縊死見分糺書ひかへ他

御糺シ奉申上覚(紀州那賀郡三屋川村忠兵衛遍路中死亡に付)

乍恐横切ヲ以奉願上覚(佐古九丁拾丁より鮎喰川の模様について)

棟付御付紙之写他

申上覚(府中村百姓又兵衛行状)他

御用状(水方印形取都めについて)

申上覚(鮎喰川筋柳植え付けによる稲作不良について)

東西矢野村役人共ヨリ中村三ッ堀中間出入都書ひかへ

上鮎喰堤根ヨリ観音寺村道程申上書(上郡筋に出郷に付)

(書簡・勧農普請銀皆済について)

物産方より油桐植付壱件之写
Last Updated: 2020-04-16
Uploaded: 2021-07-27
