
〔宿割帳断簡〕(京都大徳寺塔頭など銃士)

〔宿割帳断簡〕(京都大徳寺塔頭など銃士396人)

(村盛割賦帳、断簡)
](https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/archive/ics/viewer/iipsrv.fcgi?IIIF=/ikou/X0220000/X0220001/2565087_2014010100002200001.jpx/full/!110,100/0/default.jpg)
酉庄屋給[ ](庄屋給など割付帳)

商職御礼金并宿屋御冥加金割合帳

商職御礼金并宿屋御冥加金割合帳

絵葉書「唐津名勝」名古屋城天守台跡
方丈(大方丈)帳台構・車寄唐破風建地割

〔断簡〕(右旅宿博多市小路町上綱屋勘右衛門ほか)

絵葉書「明治天皇崩御、上野、新橋、久留米家政女学校など」唐津、松浦潟…名護屋城趾/唐津小唄
率先引下実行 : 上郡の宿屋料亭の申合せ : 挙て二割乃至四割方を茶代廃止の英断

(日記断簡 中脇大庄屋青木氏着泊、朝宮岩堀氏着、三国室屋止宿、申祭引山拝見、玩玉楼帰宿、蓬莱楼泊等)
[京都御苑]建春門外渡廊下(増築)平面図・断面図・床伏図・小屋伏図
![[千葉大学所蔵町野家文書] 御賄帳風聞書扣(鷹匠止宿賄入用割取調書上など)](https://khirin-i.rekihaku.ac.jp/iiif/ext/kotehashi/satsu_yoko_B/0019.tif/full/200,/0/default.jpg)
[千葉大学所蔵町野家文書] 御賄帳風聞書扣(鷹匠止宿賄入用割取調書上など)

郷組頭庄屋給宿米座頭盲女賄堂本村替地米友江村江代一切割留村差引帳

申ノ郷組頭庄屋給宿米座頭盲女賄堂本村替地米友江村江代一切割留村指引帳

「薬種 よくきく ウニコヲル」「京はし唐打針」「河内屋かいる黒焼」「むね腹薬」「らうがひ」「せともの丁大徳寺油薬」「うさいかくゑん」「すわ丁せみどく下シ」
「一世一代口上 中村歌右衛門」「これより一世一代の口上を申上奉り升る 私義去冬顔見世は京都の約束致升たる所 病気にてアノ方を行申升て二の替り狂言差出し升たる所 又々病気さし起り其上江戸表にて九化の所作事仕升たる所 左りの足をけが致しあの方にてはなんばと申所せ(ひ)なく其まゝおして相勤升る 其怪我か折/\起り升て狂言中ばにて足の工合そこね升る事厶り升るなれども只今にては私功者になり升てそくざにはめ升れば又々狂言も出来升なれども 右病気故芝居之休日はあれこれ名医を頼升て養生致升る所 表よりはどふじや/\と尋ねに参り升る 親類ども打寄り是てはどふも表へすまず傍ばい共へも相済ぬゆへ なんで有ふと舞台を引くがよいと申升る 私も五十には二三年も間も厶り升 中/\一世一代致したふは厶り升んなれどもこう病気/\では所詮勤らぬ事なれば先中山文七殿五十才にて一世一代致され升たが役者共のよい手本て厶り升る 夫をまねび升て中村鶴介に三番叟の役を相勤させ升る これは文七殿一世一代の時泉川☆蔵中芝居より参り三番叟役相つとめ升たるかたを取升て厶り升る 私も首尾よふ舞納め升て江戸表におり升る関三十郎 此者は中村歌助と申升てわたくし弟子に厶り升る 此者に歌右衛門をゆづり 鶴助に芝翫をゆづり升て私は加賀屋市兵衛と改め素人に相成升たなれば市兵衛どふじやかはる事はないと御尋下さりませ 鰕十郎は幼少より兄弟ぶんに相成をり升れは此度一世一代仕升るに付なぜ相談はしてくれぬと涙こぼしていふてくれ升 中/\私も引たふは厶り升んなれ共病気故の事で厶り升る イヤ/\あれはあのやうに一世一代して又二三年の内に出るで有ふと思召御方も厶り升ふが中々大坂へは出升ぬ たびへは弐三年も参るつもりで厶り升 又々出るやうなさやうなみじゆくな私でも厶り升ん私弟子四十人から厶り升れは女形の□□は三光歌六におさとうし升るで厶り升る 是におり升る忰共又は弟子共の義御頼申度は厶り升れと余り長事申上ケまするとかへつて御たいくつと何事も申升ん 今月一ぱい仕り升れはあれも幼少よりなしみの事じやかつは大坂のぐわいぶんじやとおふせ合され升てたゞヱイトウ/\と御見物の程おそれなからすみからすみまでずいと奉希申上升る
登録日: 2026-02-28
