
(嫡孫格之助病死届)

御用状(嫡孫縁組許可)

小林秀太郎忰病死届

(嫡子勘右衛門妻縁組願許可)

(小平弓太郎跡式願許可)

(小平庄右衛門の子庄太郎への跡式願許可)

農科大学教授理学博士白井光太郎ニ私立農業大学ニ於テ植物病理学講義受嘱許可報告ノ件

「忠臣蔵四十七騎両国揃退図」 「見賀弥右エ門」「奥田定右エ門」「吉田川右エ門」「小寺十内」「屋瀬孫九郎」「朝田又之丞」「鹿松勘六」「木村園右衛門」「花水惣右エ門」「金田新右エ門」「村松勘太夫」「倉橋専助」「松野十平次」「岡波八十右エ門」「岡野銀右エ門」「間瀬久太夫」「糸屋十良右エ門」「富本助右エ門」「中村甚助」「奥田彦太夫」「菅谷長之丞」「大星清左衛門」「小寺幸右エ門」「前川伊助」

「豊臣昇進録」 「秀吉自裘主為都紫の大徳寺に大会を設るの日 勝家一益等信孝を勧て一の焼香たらんとせし時 秀吉銘々か惰を責 幼主三法師を第一の席に昇たり」 「佐久間玄蕃盛政」「中川世平清秀」「蜂谷兵庫頭」「花房近江守」「筒井須慶」「直江山城守」「谷川市之丞」「中島主馬」「福原越後守」「森勝蔵文一」「塩川伯耆守」「堀久太郎秀政」「平野権平長康」「形切祐作且元」「活田勝三郎信輝」「左枝又左衛門年家」「槽谷助右衛門」「石川兵助忠朝」「加藤孫六義明」「福島市松正則」「秋坂甚内安治」
「一世一代口上 中村歌右衛門」「これより一世一代の口上を申上奉り升る 私義去冬顔見世は京都の約束致升たる所 病気にてアノ方を行申升て二の替り狂言差出し升たる所 又々病気さし起り其上江戸表にて九化の所作事仕升たる所 左りの足をけが致しあの方にてはなんばと申所せ(ひ)なく其まゝおして相勤升る 其怪我か折/\起り升て狂言中ばにて足の工合そこね升る事厶り升るなれども只今にては私功者になり升てそくざにはめ升れば又々狂言も出来升なれども 右病気故芝居之休日はあれこれ名医を頼升て養生致升る所 表よりはどふじや/\と尋ねに参り升る 親類ども打寄り是てはどふも表へすまず傍ばい共へも相済ぬゆへ なんで有ふと舞台を引くがよいと申升る 私も五十には二三年も間も厶り升 中/\一世一代致したふは厶り升んなれどもこう病気/\では所詮勤らぬ事なれば先中山文七殿五十才にて一世一代致され升たが役者共のよい手本て厶り升る 夫をまねび升て中村鶴介に三番叟の役を相勤させ升る これは文七殿一世一代の時泉川☆蔵中芝居より参り三番叟役相つとめ升たるかたを取升て厶り升る 私も首尾よふ舞納め升て江戸表におり升る関三十郎 此者は中村歌助と申升てわたくし弟子に厶り升る 此者に歌右衛門をゆづり 鶴助に芝翫をゆづり升て私は加賀屋市兵衛と改め素人に相成升たなれば市兵衛どふじやかはる事はないと御尋下さりませ 鰕十郎は幼少より兄弟ぶんに相成をり升れは此度一世一代仕升るに付なぜ相談はしてくれぬと涙こぼしていふてくれ升 中/\私も引たふは厶り升んなれ共病気故の事で厶り升る イヤ/\あれはあのやうに一世一代して又二三年の内に出るで有ふと思召御方も厶り升ふが中々大坂へは出升ぬ たびへは弐三年も参るつもりで厶り升 又々出るやうなさやうなみじゆくな私でも厶り升ん私弟子四十人から厶り升れは女形の□□は三光歌六におさとうし升るで厶り升る 是におり升る忰共又は弟子共の義御頼申度は厶り升れと余り長事申上ケまするとかへつて御たいくつと何事も申升ん 今月一ぱい仕り升れはあれも幼少よりなしみの事じやかつは大坂のぐわいぶんじやとおふせ合され升てたゞヱイトウ/\と御見物の程おそれなからすみからすみまでずいと奉希申上升る

(小平弓太郎跡式願許可)

(中嶋流炮術宜きに付、御褒詞)

(御与力小平又九郎弟助九郎跡式許可)

(小平久平跡式 世悴竹松へ被仰付)

御用状(小笠原勘右衛門儀、親和右衛門存生の内、跡式仰付)

(碇ヶ関出張につき酒肴料下賜のこと)

杉山源次郎書状

(忰兵馬への家督相続許可)

一札之事(百石船引請)

借用始末之事(金20両舫名代に付)

(庄屋辞令)

永代売渡申田方証文之事

京買物仕切

Detached segment of Goshui Wakashu

覚(去秋の米御下り代金の支払方法に付)

(申入)

(給与支給証)

(江戸幕府老中連署奉書)〔米良山安堵・鷹巣山仰付〕

(聟養子願許可証)

Letter by Hino Hirosuke

覚

乍恐奉願上事(近年御物入相続為寸志金子五百両差上申度)

Letter by Mashita Nagamori

書状(小笠原庄左衛門老衰につき息子和右衛門へ相続)
Last Updated:
Uploaded: 2021-09-21
