
武雄宮流鏑馬由来

アンベール「幕末日本図絵」挿絵 武装した幕府兵士,将軍の射手

摂津国武庫川ノ奔流(宝塚温泉場附近)(中野商店発行)
情けの武士富樫の末裔、京都に居住 : 家譜や系図などが証明 : 京都電灯社員富樫次郎氏
「文政七甲申年七月廾七日 紅葉院新車日流信士 俗名市川門之助 文政七甲申年七月廾九日 耀谷院姿釈姿賢居士 俗名大谷馬十」
「三代目市川門之助 行年三十一才 文政七甲申七月廾七日 光陽院新車日流信士 浅草たんぼ幸隆寺」「大谷馬十 行年五十七才 文政七甲申七月廾九日 耀谷院釈姿賢居士 築地法身寺」
「市川門之助 行年三十一才 文政甲申七月廾七日 光陽院新車日流信士 浅草たんぼ 幸隆寺 大谷馬十 行年五十七才 同年七月廾九日 耀谷院釈姿賢居士 築地法身寺 古人中村大吉」
「しづかの前 中村芝翫」「狐忠信 関三十郎」「実このよろひを玉はりしも兄次のふが忠きんなり 八島のたゝかひわがきみの御馬の矢おもてにこまをかけすへ たちふさがる ヲヽきゝおよぶ其時に平家の方々は名たかきつよゆみ 能登守のりつねと名のりもあへずよつひいて放つ矢先はうらめしや兄つぎのぶがむないたにたまりもあへずまつさかさまあへなきさいごは武士の忠臣義士の名をのこすおもひいづるもなみだにて袖はかわかぬつゝ井づゞ」
Last Updated: 2021-03-27
Uploaded: 2022-03-17
