
鮮于枢伯機父
鮮于枢・酔時歌2
鮮于枢・酔時歌1
鮮于枢・韓愈進学解

朝鮮国王之印
王羲之・官奴帖(鬱岡斎帖)
王羲之・道意帖(宋拓宝晋斎帖)
王羲之・初月帖(万歳通天進帖)
王羲之・范新婦帖(宋拓宝晋斎帖)
王羲之・楽毅論(餘清斎帖)
王羲之・孝女曹娥碑(餘清斎帖)
王羲之・東方朔画賛(餘清斎帖)

濱田柄本様御越之節料理献立帖 上下三人

虎列刺病豫防之為メ臨時祭入費控; 虎列刺病豫防之為メ臨時祭典費拂出帖

虎列刺病豫防之為メ臨時祭入費控; 虎列刺病豫防之為メ臨時祭典費拂出帖
多獅島の臨江鉄道 : 藤原王子社長の入鮮で急進展 : 近日中に正式に出願

朝鮮国ゟ献上之御鷹去廿五日壱州勝本え着水之由若松屋小平次ゟ申来候事

朝鮮ゟ献上御鷹船当月四日下関着岸之由小倉若松屋ゟ申来候事
半島金融界の王位を占めて合理的金融の疎通に勗め産業開発に貢献する : 朝鮮殖産銀行

寺院建物絵図並田畑石高帳 外ニ寺院掛書類(明治元年)《御府下臨済宗門中境内建物絵図并米麦収納石高調子之事(明治元年12月19日 常勝寺中山寺光明寺高源寺から度会府宛)》/大湊医王寺

「尼崎町ノ一部 其ノ一」 撮影場所:築地町より中在家町を望む キャプション:尼崎町は戸數六千人口三万を有し南方は大坂灣に臨み土地平坦にして市街長方形をなす其地理は極めて海陸の運輸交通に適するを以て各種の會社爭ふて起業地とし爲に煙突は年年其數を加へ人口亦著るしく増殖して今や全く昔日の面影を改めんとす以下撮影するものは其の概況なり。 ふるさと「尼崎」のあゆみキャプション:北東から築地を望む(大正初期)左、大黒橋、左下少し見えるのは丸万橋。この辺りには木材屋、竹屋、船大工作業場などがあり、木材や竹の筏が多く見られた。 / 御大典紀念献上 尼崎市写真帖
Last Updated: 2025-04-02T01:00:39
Uploaded: 2025-04-03