
(当年勤メ人夫御扶持方米)他

亥之年出シ目銀受取帳

鮎喰川筋左右堤御普請当亥年ヨリ来ル辰年迄六ヶ年限中三拾弐ヶ村勤夫員数並御銀積共請取銀村々勘定帳

鮎喰川左右堤当寅年御普請村々出役人夫御扶持方奉請取員数相記奉指上帳
「一世一代口上 中村歌右衛門」「これより一世一代の口上を申上奉り升る 私義去冬顔見世は京都の約束致升たる所 病気にてアノ方を行申升て二の替り狂言差出し升たる所 又々病気さし起り其上江戸表にて九化の所作事仕升たる所 左りの足をけが致しあの方にてはなんばと申所せ(ひ)なく其まゝおして相勤升る 其怪我か折/\起り升て狂言中ばにて足の工合そこね升る事厶り升るなれども只今にては私功者になり升てそくざにはめ升れば又々狂言も出来升なれども 右病気故芝居之休日はあれこれ名医を頼升て養生致升る所 表よりはどふじや/\と尋ねに参り升る 親類ども打寄り是てはどふも表へすまず傍ばい共へも相済ぬゆへ なんで有ふと舞台を引くがよいと申升る 私も五十には二三年も間も厶り升 中/\一世一代致したふは厶り升んなれどもこう病気/\では所詮勤らぬ事なれば先中山文七殿五十才にて一世一代致され升たが役者共のよい手本て厶り升る 夫をまねび升て中村鶴介に三番叟の役を相勤させ升る これは文七殿一世一代の時泉川☆蔵中芝居より参り三番叟役相つとめ升たるかたを取升て厶り升る 私も首尾よふ舞納め升て江戸表におり升る関三十郎 此者は中村歌助と申升てわたくし弟子に厶り升る 此者に歌右衛門をゆづり 鶴助に芝翫をゆづり升て私は加賀屋市兵衛と改め素人に相成升たなれば市兵衛どふじやかはる事はないと御尋下さりませ 鰕十郎は幼少より兄弟ぶんに相成をり升れは此度一世一代仕升るに付なぜ相談はしてくれぬと涙こぼしていふてくれ升 中/\私も引たふは厶り升んなれ共病気故の事で厶り升る イヤ/\あれはあのやうに一世一代して又二三年の内に出るで有ふと思召御方も厶り升ふが中々大坂へは出升ぬ たびへは弐三年も参るつもりで厶り升 又々出るやうなさやうなみじゆくな私でも厶り升ん私弟子四十人から厶り升れは女形の□□は三光歌六におさとうし升るで厶り升る 是におり升る忰共又は弟子共の義御頼申度は厶り升れと余り長事申上ケまするとかへつて御たいくつと何事も申升ん 今月一ぱい仕り升れはあれも幼少よりなしみの事じやかつは大坂のぐわいぶんじやとおふせ合され升てたゞヱイトウ/\と御見物の程おそれなからすみからすみまでずいと奉希申上升る

名東郡早渕三ヶ村相合新堤御手普請処御調物帳

鮎喰河左右堤御普請ヶ所相記奉指上候帳控

三拾弐箇村ヨリ当年御普請出役人夫帳并御扶持方奉願上控とも

鮎喰川左右堤御普請残ヶ所皆済当春割符帳

上鮎喰御普請付込

名東郡中諸割賦元帳写(割元 佐藤惣右衛門)

津田六平様御拝知御投免割賦帳

鮎喰川浚堤御普請御扶持米代村々地合御普請銀共御積方御渡覚御控帳之写

後年飢饉之節御救米代銀指出人数名前帳

名東郡中諸割賦元帳写

鮎喰川筋東名東村之内上鮎喰往来通ニ而見通下浜高房迄之間十一ヶ処川幅間数相調子奉指上帳

鮎喰川左右堤当丑年分御普請ヶ所相記奉指上帳控

鮎喰川浚左右堤御普請諸才判名面帳

名東郡中諸品割賦元帳

名東郡早渕三ヶ村相合御手当請人夫帳

早渕村御役人様賄仕出帳(仕出し料理代金書付帳)

申秋御年貢取替間銀相記夫々取都指引帳

名東郡中諸割賦元帳

高崎村南地方川堀御普請仕様帳写

名東郡中御蔵百姓追立夫相勤候頭数相調帳写

鮎喰川堤御普請才判相蒙リ衆中出勤日継帳(早渕村割場)

延命中村早渕和田四ヶ村堤ヨリ川原砂取場迄道法相調帳

鮎喰川堤御普請遣形控帳

鮎喰河御普請ニ付村々出役控帳
最終更新日: 2020-04-16
登録日: 2021-07-27
