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奉納四国八十八ケ所順拝(木版札)

秩父札所順礼神社仏閣古跡独案内

「新撰西国三十三番順礼札所観世音御詠歌風景道法附」

「新撰西国三十三番順礼札所観世音御詠歌風景道法附」

「新撰西国三十三番順礼札所観世音御詠歌風景道法附」

「新撰西国三十三番順礼札所観世音御詠歌風景道法附」

乍恐奉願一札之事 / 平沢町惣代、丁代宿老より御役所宛

一札之事 (再度出入りの和順にあたり関東の形売場所の手放しにつき証文)

鮎喰河御普請所御扶持方米代拝借其余先御普請並銀札御積之分とも諸御入目此度御指下奉願株々相記奉指上帳

乍恐口上書ヲ以再返答奉申上候(札山境争論ニ付双方に神文血判仰付下され度)
比率打破に対し英米態度慎重 : プラット提督所論反駁 : 米国代表部を刺戟
所有権を固執せば断乎交渉打切り? : 北鉄譲渡交渉再開に備うる : 満洲国代表部の意嚮

(此度太守様若殿様へ恐悦奉申上候に付郡中類々之者人柄相選郡代役所へ出頭の事)

乍恐奉申上覚(七代庄屋役相勤候所私眼病に付退役仕に付庄屋助役にても被仰付度)他

(此度諸郡与頭庄屋共御郡代所ヘ御呼懸被仰付御奉行様御直ニ被仰渡候ハ当夏両度之洪水ニ付南北川除堤ヲ始御普請所大被ニ相及候処近年御物入多被為存候ニ付御普請替自力相勤候御趣被仰付運書付一巻)他
「一世一代口上 中村歌右衛門」「これより一世一代の口上を申上奉り升る 私義去冬顔見世は京都の約束致升たる所 病気にてアノ方を行申升て二の替り狂言差出し升たる所 又々病気さし起り其上江戸表にて九化の所作事仕升たる所 左りの足をけが致しあの方にてはなんばと申所せ(ひ)なく其まゝおして相勤升る 其怪我か折/\起り升て狂言中ばにて足の工合そこね升る事厶り升るなれども只今にては私功者になり升てそくざにはめ升れば又々狂言も出来升なれども 右病気故芝居之休日はあれこれ名医を頼升て養生致升る所 表よりはどふじや/\と尋ねに参り升る 親類ども打寄り是てはどふも表へすまず傍ばい共へも相済ぬゆへ なんで有ふと舞台を引くがよいと申升る 私も五十には二三年も間も厶り升 中/\一世一代致したふは厶り升んなれどもこう病気/\では所詮勤らぬ事なれば先中山文七殿五十才にて一世一代致され升たが役者共のよい手本て厶り升る 夫をまねび升て中村鶴介に三番叟の役を相勤させ升る これは文七殿一世一代の時泉川☆蔵中芝居より参り三番叟役相つとめ升たるかたを取升て厶り升る 私も首尾よふ舞納め升て江戸表におり升る関三十郎 此者は中村歌助と申升てわたくし弟子に厶り升る 此者に歌右衛門をゆづり 鶴助に芝翫をゆづり升て私は加賀屋市兵衛と改め素人に相成升たなれば市兵衛どふじやかはる事はないと御尋下さりませ 鰕十郎は幼少より兄弟ぶんに相成をり升れは此度一世一代仕升るに付なぜ相談はしてくれぬと涙こぼしていふてくれ升 中/\私も引たふは厶り升んなれ共病気故の事で厶り升る イヤ/\あれはあのやうに一世一代して又二三年の内に出るで有ふと思召御方も厶り升ふが中々大坂へは出升ぬ たびへは弐三年も参るつもりで厶り升 又々出るやうなさやうなみじゆくな私でも厶り升ん私弟子四十人から厶り升れは女形の□□は三光歌六におさとうし升るで厶り升る 是におり升る忰共又は弟子共の義御頼申度は厶り升れと余り長事申上ケまするとかへつて御たいくつと何事も申升ん 今月一ぱい仕り升れはあれも幼少よりなしみの事じやかつは大坂のぐわいぶんじやとおふせ合され升てたゞヱイトウ/\と御見物の程おそれなからすみからすみまでずいと奉希申上升る
Last Updated: 2025-07-25T01:00:14
Uploaded: 2025-07-26