濃州今泉御坊在番願正寺口書締写

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濃州岩村城請取在番諸事覚書

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(越後高田)勝願寺(現今瑞泉寺)由来

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溝口山絵図写 美濃国不破郡今須村・松尾村

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今井泉水より野田村組合遍田村平山村願書写

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観音霊験記 西国巡礼三十三番美濃国谷汲寺 金商人大倉信満第一番紀州那智山 和泉式部

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内願書写 野尻・柏原・大古間・各宿役人→尾州取締中野役所

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御用状(虚無僧本寺京都明暗寺番僧吹笛迴在修行仕度旨一件写)

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十月二十日平泉寺より文通写并勝山表より願書写(用水出入ニ付)

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諸役人并町在御扶持人姓名 (十一)御本丸・一ツ橋・紀州・田安・京都・江戸・大坂・大津・柏崎・丸岡・粟ケ崎・金沢・敦賀・小浜・遠州・江州・甲州・尾州・参州・駿州・濃州・播州・泉州・武州・紀州

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乍恐奉願候口上之覚(若猪野村外二か村と平泉寺村用水出入ニ付)

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泉州四郡村々ゟ大坂御奉行所江菜種綿実売捌方并燈油買取方手広願書写し

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奉願口上之覚 / 紅州海士郡大川村船頭安右ェ門より大阪運送方寺西朔平宛

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愚僧等にも被選権を : 県下の五百余箇寺住職から今期の議会に請願する : 坊主は何故代議士に成れぬ

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写真「宮代出土 宮処寺 朝倉弓道場 日守墳古墳 黄金塚古墳 喪山古墳 敷原美濃淵出土 平尾大明神古墳 九十九坊 一里塚 窯跡 国分寺一之尾木石窯」

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乍恐口上書を以奉願上候(不老・新在家村越山・岩本村持山杉・松・雑木220本売払、札所取締役退役、拝借銀上納方不指支ニ付)

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①二割増御貸附先滞利金之儀ニ付宿々取締役今須宿五良次ヨリ道   中御奉行所江出願被致呉候願書之写(刎銭助成金利金滞りに付 、御下渡願) ②二割増刎銭溜助成御貸附滞利金高訳書(文化13年より文政6年貸附金書上)

①二割増御貸附先滞利金之儀ニ付宿々取締役今須宿五良次ヨリ道   中御奉行所江出願被致呉候願書之写(刎銭助成金利金滞りに付 、御下渡願) ②二割増刎銭溜助成御貸附滞利金高訳書(文化13年より文政6年貸附金書上)

「松岡利治」「五十嵐恵吉」「高雄鎌三」「浅山顕蔵」「樋口某」「花房義質」「岡兵一」「今西某」「佐川晃」「小林志津三郎」「久水三郎」「大庭永成」「松広錫」「石幡貞」「本願寺モミヂ」「宇野助右エ門」「武田甚太郎」

「松岡利治」「五十嵐恵吉」「高雄鎌三」「浅山顕蔵」「樋口某」「花房義質」「岡兵一」「今西某」「佐川晃」「小林志津三郎」「久水三郎」「大庭永成」「松広錫」「石幡貞」「本願寺モミヂ」「宇野助右エ門」「武田甚太郎」

①十月十二日夜御泊之節、御小人目付藤村賢一郎様御手[記ヵ]拝借写 ②御下宿不動ニ付割替御嘆願之覚 ③守山宿武佐宿間合簿 ④(宗■寺御堂畳坪数等書上) ⑤(人別建物坪数等書上ヵ) ⑥二階之分 ⑦(人別間口建坪書上 ⑧(人別間口奥行書上ヵ)

①十月十二日夜御泊之節、御小人目付藤村賢一郎様御手[記ヵ]拝借写 ②御下宿不動ニ付割替御嘆願之覚 ③守山宿武佐宿間合簿 ④(宗■寺御堂畳坪数等書上) ⑤(人別建物坪数等書上ヵ) ⑥二階之分 ⑦(人別間口建坪書上 ⑧(人別間口奥行書上ヵ)

「江戸之華名勝会」「汐」「三番組」「平佐」「二や」「北尾張」「丹州」「大木戸ぼたん餅」「だんご」「万清」「高輪泉岳寺」「忠と義の名も高輪の世話りに語りてくちぬおくつきの石 便嵐舎」「大星力弥 市村竹松 良雄 飛こんで手にもたまらすあられかな」「義士乃誉は末世まで高輪」「仮名手本忠臣蔵」

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本興寺 撮影場所:尼崎町別所 キャプション:尼崎町の内別所に在り、本門法華宗の大本山にして慶林院日隆上人の開基なり、應永廿七年細川満立の造營に係り、當時は寺域八町四方あり、三方に門を搆へ四方濠を繞らし堂塔十六坊八棟造の七堂三重の寳塔隆々として相列ひ壯麗雄大を極めたるも數度の兵燹に罹り今や唯舊觀の一部を存するのみ然れとも尚本堂、祖師堂、大書院、開山、三光、舎利各堂、方丈、庫裡等整然として存在せり、國寳日隆上人の像は佛師淨傳の作なり。

本興寺 撮影場所:尼崎町別所 キャプション:尼崎町の内別所に在り、本門法華宗の大本山にして慶林院日隆上人の開基なり、應永廿七年細川満立の造營に係り、當時は寺域八町四方あり、三方に門を搆へ四方濠を繞らし堂塔十六坊八棟造の七堂三重の寳塔隆々として相列ひ壯麗雄大を極めたるも數度の兵燹に罹り今や唯舊觀の一部を存するのみ然れとも尚本堂、祖師堂、大書院、開山、三光、舎利各堂、方丈、庫裡等整然として存在せり、國寳日隆上人の像は佛師淨傳の作なり。

「尼崎町ノ一部 其ノ一」 撮影場所:築地町より中在家町を望む キャプション:尼崎町は戸數六千人口三万を有し南方は大坂灣に臨み土地平坦にして市街長方形をなす其地理は極めて海陸の運輸交通に適するを以て各種の會社爭ふて起業地とし爲に煙突は年年其數を加へ人口亦著るしく増殖して今や全く昔日の面影を改めんとす以下撮影するものは其の概況なり。 ふるさと「尼崎」のあゆみキャプション:北東から築地を望む(大正初期)左、大黒橋、左下少し見えるのは丸万橋。この辺りには木材屋、竹屋、船大工作業場などがあり、木材や竹の筏が多く見られた。 / 御大典紀念献上 尼崎市写真帖

「尼崎町ノ一部 其ノ一」 撮影場所:築地町より中在家町を望む キャプション:尼崎町は戸數六千人口三万を有し南方は大坂灣に臨み土地平坦にして市街長方形をなす其地理は極めて海陸の運輸交通に適するを以て各種の會社爭ふて起業地とし爲に煙突は年年其數を加へ人口亦著るしく増殖して今や全く昔日の面影を改めんとす以下撮影するものは其の概況なり。 ふるさと「尼崎」のあゆみキャプション:北東から築地を望む(大正初期)左、大黒橋、左下少し見えるのは丸万橋。この辺りには木材屋、竹屋、船大工作業場などがあり、木材や竹の筏が多く見られた。 / 御大典紀念献上 尼崎市写真帖

「一世一代口上 中村歌右衛門」「これより一世一代の口上を申上奉り升る 私義去冬顔見世は京都の約束致升たる所 病気にてアノ方を行申升て二の替り狂言差出し升たる所 又々病気さし起り其上江戸表にて九化の所作事仕升たる所 左りの足をけが致しあの方にてはなんばと申所せ(ひ)なく其まゝおして相勤升る 其怪我か折/\起り升て狂言中ばにて足の工合そこね升る事厶り升るなれども只今にては私功者になり升てそくざにはめ升れば又々狂言も出来升なれども 右病気故芝居之休日はあれこれ名医を頼升て養生致升る所 表よりはどふじや/\と尋ねに参り升る 親類ども打寄り是てはどふも表へすまず傍ばい共へも相済ぬゆへ なんで有ふと舞台を引くがよいと申升る 私も五十には二三年も間も厶り升 中/\一世一代致したふは厶り升んなれどもこう病気/\では所詮勤らぬ事なれば先中山文七殿五十才にて一世一代致され升たが役者共のよい手本て厶り升る 夫をまねび升て中村鶴介に三番叟の役を相勤させ升る これは文七殿一世一代の時泉川☆蔵中芝居より参り三番叟役相つとめ升たるかたを取升て厶り升る 私も首尾よふ舞納め升て江戸表におり升る関三十郎 此者は中村歌助と申升てわたくし弟子に厶り升る 此者に歌右衛門をゆづり 鶴助に芝翫をゆづり升て私は加賀屋市兵衛と改め素人に相成升たなれば市兵衛どふじやかはる事はないと御尋下さりませ 鰕十郎は幼少より兄弟ぶんに相成をり升れは此度一世一代仕升るに付なぜ相談はしてくれぬと涙こぼしていふてくれ升 中/\私も引たふは厶り升んなれ共病気故の事で厶り升る イヤ/\あれはあのやうに一世一代して又二三年の内に出るで有ふと思召御方も厶り升ふが中々大坂へは出升ぬ たびへは弐三年も参るつもりで厶り升 又々出るやうなさやうなみじゆくな私でも厶り升ん私弟子四十人から厶り升れは女形の□□は三光歌六におさとうし升るで厶り升る 是におり升る忰共又は弟子共の義御頼申度は厶り升れと余り長事申上ケまするとかへつて御たいくつと何事も申升ん 今月一ぱい仕り升れはあれも幼少よりなしみの事じやかつは大坂のぐわいぶんじやとおふせ合され升てたゞヱイトウ/\と御見物の程おそれなからすみからすみまでずいと奉希申上升る

「一世一代口上 中村歌右衛門」「これより一世一代の口上を申上奉り升る 私義去冬顔見世は京都の約束致升たる所 病気にてアノ方を行申升て二の替り狂言差出し升たる所 又々病気さし起り其上江戸表にて九化の所作事仕升たる所 左りの足をけが致しあの方にてはなんばと申所せ(ひ)なく其まゝおして相勤升る 其怪我か折/\起り升て狂言中ばにて足の工合そこね升る事厶り升るなれども只今にては私功者になり升てそくざにはめ升れば又々狂言も出来升なれども 右病気故芝居之休日はあれこれ名医を頼升て養生致升る所 表よりはどふじや/\と尋ねに参り升る 親類ども打寄り是てはどふも表へすまず傍ばい共へも相済ぬゆへ なんで有ふと舞台を引くがよいと申升る 私も五十には二三年も間も厶り升 中/\一世一代致したふは厶り升んなれどもこう病気/\では所詮勤らぬ事なれば先中山文七殿五十才にて一世一代致され升たが役者共のよい手本て厶り升る 夫をまねび升て中村鶴介に三番叟の役を相勤させ升る これは文七殿一世一代の時泉川☆蔵中芝居より参り三番叟役相つとめ升たるかたを取升て厶り升る 私も首尾よふ舞納め升て江戸表におり升る関三十郎 此者は中村歌助と申升てわたくし弟子に厶り升る 此者に歌右衛門をゆづり 鶴助に芝翫をゆづり升て私は加賀屋市兵衛と改め素人に相成升たなれば市兵衛どふじやかはる事はないと御尋下さりませ 鰕十郎は幼少より兄弟ぶんに相成をり升れは此度一世一代仕升るに付なぜ相談はしてくれぬと涙こぼしていふてくれ升 中/\私も引たふは厶り升んなれ共病気故の事で厶り升る イヤ/\あれはあのやうに一世一代して又二三年の内に出るで有ふと思召御方も厶り升ふが中々大坂へは出升ぬ たびへは弐三年も参るつもりで厶り升 又々出るやうなさやうなみじゆくな私でも厶り升ん私弟子四十人から厶り升れは女形の□□は三光歌六におさとうし升るで厶り升る 是におり升る忰共又は弟子共の義御頼申度は厶り升れと余り長事申上ケまするとかへつて御たいくつと何事も申升ん 今月一ぱい仕り升れはあれも幼少よりなしみの事じやかつは大坂のぐわいぶんじやとおふせ合され升てたゞヱイトウ/\と御見物の程おそれなからすみからすみまでずいと奉希申上升る

最終更新日: 2025-07-30T01:00:21

登録日: 2025-07-31