
敷石残片
「企業あって労働者なし」 / 石炭つぶしの犯人はだれだ / 「幸せの花」は咲かなかった
残ったのは「春」だけ? / 職場23分会、優勝飾る / 天草旅行の記

このあたりはかつてタイやサワラの絶好の釣場だった。(タイ網)
贅沢品は売れぬ : 金属製造業の悲境 : 残ったのは日用品工場だけ

新崎荷揚場 昭29

鰤敷の網にウバザメがかかった様子

『できごと』:(457)「旦那、あんたの荷物にはあと5スー必要だよ・・・。言っておくが、おいらは良心的なんだぜ。なぜって、あんたのかみさんをふたっつめの荷物に数えてやってんだからなぁ・・・」

「高田馬場(たかだのばば)」
ウォール街颱風一過 : かかる深傷は直ぐには癒らぬ : だが聢りしたものだった

外壁だけが残った戦災ビルは浮浪者の格好のねぐら

(焼けただれたストーブの残がい)

(焼けただれたストーブの残がい)

からだにも顔があった
阪急高架乗入れ : 市の肚は決った : 残るは阪急側の意嚮だ : 交渉は愈よ来週から

石だたみ

石だたみ

(日のあたった石垣)

「あたかのきやり 頭取はだかの祭」
とったのは僅かだ / 賃金カットは不満 / 労協、スト権確立す
原因は保安サボだ / 目立つ、体力の衰え / 落ち度はなかったか

八幡町の周りには幾つもの内湖があり,水郷風景を見せていたが,干拓のため残ったのは西の湖だけになった。枯れたヨシは,1月から3...

『1848年のパリジャン』:(1)「ひゃあ・・・あんただなんて全然わかんなかったよ・・・いったいどうしたんだそのヒゲ!・・・」「だってしょうがないんだよ・・・伍長にされてたんだ・・・」

外川の石だたみ

大蔵省醸造研究所 明治35年 滝野川反射炉跡地に設けられた 当時の煉瓦建造物も現存している

【右】千頭駅構内の保存SL群 左から1(いずも)49616 C12164 1275 大井川鉄道のSLは火を入れて運転できる状...

絲原記念館 手前から管理棟・たたら民具棟・美術工芸棟 水路の右に絲原邸がある

歩道に再利用されている市電の敷石(外人墓地前)。

八幡製鐵所本事務所(北九州市八幡東区枝光) 官営時代の大正11年の建築 この町では“本事務所”で通る

崋山幽囚の家 永常は罪を得た崋山が田原へ護送されるのと入替りにこの家から立ちのいた 左手奥の小屋で崋山は自刃した

元は清州から移したという五条橋(堀川) この付近には清州から移住させられた商人が多かった

日立造船(株)舞鶴工場では,旧海軍工廠時代の煉瓦建築24棟が今も使われている。写真は明治36年完成の鉄骨煉瓦造の工場。フラン...

〔左〕須坂市農協食品センター内にある「東行社跡」の記念標(左端) 右手には使われなくなった繭倉も見える

中川運河から堀川へ出入りする船のために設けられた松重閘門(昭和5年の完成)

家並みとしての蔵の味わいは表通りよりむしろ裏通りで感じられる ここの蔵は人々の暮しの中に自然に溶けこんでいる

白鹿記念酒造博物館 創業320年を記念して昨年設立された

〔左〕北上運河と旧北上川の分岐点(石巻市)に設けられた水位調節用の石井閘門(時の土木局長石井省一郎の名をとった) 日本最初の...

アプト線の象徴であったラックレールも今では踏切の踏板代わり(横川駅付近)

倉紡の専用荷揚場跡 鉄道開通まで倉敷紡績所で使用する原綿や製品は倉敷川の舟運を利用した

若喜商店(味噌醤油醸造)の座敷蔵 明治38年に建てられた煉瓦蔵でベランダのある和洋折衷方式 軒先の煉瓦装飾がおもしろい

Heirin Temple, Nobidome (Nobidome Hirinji)

地下採掘場の平場堀作業 栄商店採掘場(大谷資料館見学コースのさらに40m下)

ステンドグラス 津和野カトリック教会

開港広場の真ん中に保存されている煉瓦造り人孔(マンホール) 透明のふたを通してのぞくことができる 明治13~16年に築造された

赤い石州瓦の屋根が続く大森の町 “銀山御料”の中心地だった

大坂宗右衛門町乃雪

旧北国街道海野宿(長野県小県郡東部町本海野)の町並み。江戸時代から明治・大正期に至る家並みが残り,「重要伝統的建造物群保存地...

小樽市の北海道鉄道記念館では北海道鉄道開通百年を記念して初期のSL「義経号」(左)と「しづか号」の対面が行われた 後ろは鉄道...
最終更新日:
登録日: 2021-07-21
