「全せゐ逢坂山」「左馬頭木曽義仲」

「木曽六十九駅 大津 逢坂山」 「黒主」

「木曽六十九駅」 「大津逢坂山」「黒主」
木曽六十九駅 大津逢坂山・黒主

〔左〕丹那トンネル東口(熱海側)

「傾城逢州 坂東三津五郎」
「傾城逢州 坂東三津五郎」
腹側から見たクマムシ
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「西行法師」「太夫逢坂山」
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「西行法師」「太夫逢坂山」
「西行法師」「太夫逢坂山」

「鷺坂左内 市村羽左衛門」

「音羽山清水寺」

「けいせい逢州 坂東三津五郎」
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「坂東三津五郎」 (鏡山舊錦絵 左)
「音羽屋瀧 坂東彦三郎」
音羽屋滝 坂東彦三郎

「音羽屋瀧 坂東彦三郎」

垂坂山観音寺
「けいせい逢しう 坂東三津五郎」
「けいせい逢しう 坂東三津五郎」
「月百姿」「音羽山月」
「☆山左衛門よし成 坂東三津五郎」
「秋津[嶋] 市村羽左衛門」

大井川が刻んだ深い谷に沿って井川線の列車が登ってゆく(犬間―川根長島間) 長島ダムの建設によってこの谷も水没し井川線はアプト...

かつてニシン漁で栄えた古宇郡泊村 積丹半島西岸のこの一帯は「千石場所」として知られていた 海岸の磯に切り込まれた無数の船入澗...

峰之沢鉱山跡 中腹に見えるサラ地が選鉱場跡 杉林の切れ目は 鉱石や人を運んだインクラインの軌道跡 その下に鉱石船積み設備の一...

紀州の山々

城山から見た宇和島の市街と港 埋立てのため現在の海岸線は幕末のころと大きく変わっている 慶応2年にはイギリス公使パークスらも...

院内の家並み 羽州街道の要衝として早くから院内の関が置かれ また後方基地としてその盛衰をともにしてきた町である 遠景は銀山と...

旧中山道の峠からの眺望 目の下の谷を信越本線が通っている 右手遠景は入山峠 左に妙義山 昔からこの険峻な国境を越えるため多く...

中津江村鯛生集落の上から東方を望む 右に連なる大きな山塊は酒呑童子山 前方の谷が鯛生川 遠く九重山も見える 深い山なみに囲ま...

稲佐山から見た長崎市街 幕末の長崎製鉄所は手前の造船所の位置に建設された

中城城二の丸の城壁 蛇行する石塁とその上の胸壁に本土の城郭にはない大陸的な技法が感じられる 築城年代の遅い中城城は沖縄の城の...

観音崎より浦賀水道を望む 4隻の黒船はこの沖合に投錨して鎖国太平の夢を破った

諏訪山からの眺め 遠景中央に並ぶのが鉢伏山と旗振山 右手が高取山 各地点と諏訪山との間で 旗振り実験を行った

新潟県上越市の岩の原葡萄園。標高60~170mの斜面に,川上善兵衛が開いたブドウ畑が広がる。完熟したブドウの甘い芳香が漂う。

松崎の町 かつては西伊豆第一の商港としてにぎわい 異色の人材を多く生み出した

球磨川 球泉洞付近

佐田盆地の現況 佐田川の対岸が佐田の集落 その右に見える森が反射炉のあった宮の台(佐田神社) 前方の剣ノ木山に向けて大砲の試...

大山南壁

渡部から見た大河津分水 文化年間の間歩堀はこの河道に当たる所を通っていたはずだが 分水開さくで全く消滅した

燈明崎突端の山見跡 ここから旗で各船に合図や指示を送った 前方は熊野灘

五郎兵衛用水が灌漑する浅科村の水田地帯 手前は上原の集落 遠景は浅間山

京都駅前の京都タワーから東側を見る 現在の東海道本線・新幹線は鴨川を渡ってすぐ東山トンネルに入るが 最初の京都・大津間鉄道は...

砥石山の露天堀跡(群馬県南牧村砥沢) 数百年にわたり砥石を掘り取り続けたため山の一角が消えてしまった 近くに水抜坑跡もある

“香嵐渓”の名で知られる巴川の清流 そのほとりで山の暮らしと手仕事の再現が試みられている

大榑川洗堰の築堤を記念する「薩摩堰遺跡」の碑 長良川の水が揖斐川に流れ込むのを防ぐため設けられた洗堰(石堤)は 現在は前方に...
最終更新日:
登録日: 2021-07-29
