
口上覚(飯田善右衛門次男代八を養子に願う)

覚(小笠原勘右衛門病死届)

覚(病死人葬儀代所持金より差引ニ付)

乍恐口上書を以奉願上候(野辺小左衛門旧冬病死、私弟祐三郎養嗣願、写)

奉願口上覚 (養子縁組願 大野忠右衛門養家の弟→大音半助養子)

申上覚(芝原村広右衛門病死後聞合書)

乍恐奉願上覚(男子倅無御座に付養子家督相続願)

覚(父庄左衛門病死につき由緒書書き換えの願)

口上覚(次男代八河内小左衛門江養子縁組願)

乍恐口上書を以奉願上候(野辺小左衛門、旧冬病死、私弟祐三郎養子ニ付、下書)

乍恐(善四郎病死後弟相続ニ付年頭御礼・苗字等継承願)

奉願口上覚(豊島又四郎病死に付妻(田中源工娘)取引の件)

乍恐奉願上覚(佐野儀右衛門・三谷権之助への預け米返済命令下達願)

一札(病死の久四郎娘そめ、其御村方にて御養育願うことなど写し)

乍恐御歎書附を以奉願上覚(養父老齢にて病気の節本宅にて養生許可に付)

河州志記郡木本村善右衛門延命村にて病死見分糺添書ひかへ他

申上覚(当村新右衛門丈右衛門御用に付出頭のところ丈右衛門病気に付日延べ願)他

早渕村小高取格後藤善右衛門方ニ拾上御座候捨子病死見分糺書付他

乍恐奉願上覚(当村定請御林早渕村後藤善右衛門根伐差留方に付)

乍恐奉願上事(私儀先祖共より銘丹波守吉道脇差一腰持伝罷在候 右品奉差上)

讃州山田郡善正村武右衛門親まち四国為修行罷出府中村ニて病死見分糺書付ひかへ他

御付札写(後藤利八郎次男勇助儀名古屋伏見町佐藤為三郎方へ養子家督相続に付暇願の件)
「一世一代口上 中村歌右衛門」「これより一世一代の口上を申上奉り升る 私義去冬顔見世は京都の約束致升たる所 病気にてアノ方を行申升て二の替り狂言差出し升たる所 又々病気さし起り其上江戸表にて九化の所作事仕升たる所 左りの足をけが致しあの方にてはなんばと申所せ(ひ)なく其まゝおして相勤升る 其怪我か折/\起り升て狂言中ばにて足の工合そこね升る事厶り升るなれども只今にては私功者になり升てそくざにはめ升れば又々狂言も出来升なれども 右病気故芝居之休日はあれこれ名医を頼升て養生致升る所 表よりはどふじや/\と尋ねに参り升る 親類ども打寄り是てはどふも表へすまず傍ばい共へも相済ぬゆへ なんで有ふと舞台を引くがよいと申升る 私も五十には二三年も間も厶り升 中/\一世一代致したふは厶り升んなれどもこう病気/\では所詮勤らぬ事なれば先中山文七殿五十才にて一世一代致され升たが役者共のよい手本て厶り升る 夫をまねび升て中村鶴介に三番叟の役を相勤させ升る これは文七殿一世一代の時泉川☆蔵中芝居より参り三番叟役相つとめ升たるかたを取升て厶り升る 私も首尾よふ舞納め升て江戸表におり升る関三十郎 此者は中村歌助と申升てわたくし弟子に厶り升る 此者に歌右衛門をゆづり 鶴助に芝翫をゆづり升て私は加賀屋市兵衛と改め素人に相成升たなれば市兵衛どふじやかはる事はないと御尋下さりませ 鰕十郎は幼少より兄弟ぶんに相成をり升れは此度一世一代仕升るに付なぜ相談はしてくれぬと涙こぼしていふてくれ升 中/\私も引たふは厶り升んなれ共病気故の事で厶り升る イヤ/\あれはあのやうに一世一代して又二三年の内に出るで有ふと思召御方も厶り升ふが中々大坂へは出升ぬ たびへは弐三年も参るつもりで厶り升 又々出るやうなさやうなみじゆくな私でも厶り升ん私弟子四十人から厶り升れは女形の□□は三光歌六におさとうし升るで厶り升る 是におり升る忰共又は弟子共の義御頼申度は厶り升れと余り長事申上ケまするとかへつて御たいくつと何事も申升ん 今月一ぱい仕り升れはあれも幼少よりなしみの事じやかつは大坂のぐわいぶんじやとおふせ合され升てたゞヱイトウ/\と御見物の程おそれなからすみからすみまでずいと奉希申上升る
Uploaded: 2026-02-28
