厨子甕(古我知焼・御殿型褐釉)

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皇太子殿下御違例ニ付拝賀不被為受旨通知ノ件

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人事課長ヨリ皇太子妃殿下御分娩親王御降誕ニ付参賀ノ義通知

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皇太子殿下御成年式後来三十日饗宴御見合通知状伝達方依頼ノ件

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皇太子殿下御成年式ヲ行ハセラルヽニ付奉祝挙行方ニ関シ通知ノ件

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証書(古刀月山を鈴木行知殿へ預け置くにあたっての利子約定)

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露国皇太子殿下御負傷二付御見舞ノ為メ総代トシテ古市工科大学長京都ヘ出発等ノ件

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図面・書類袋断片(木子清敬京都出張書類・葉山御用邸厩地所買上図・知恩院大殿)

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皇太子殿下御成年式後来三十日饗宴被為行候当日在京ノ本学奏任官通知ノ件

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皇太子殿下御成年式後来三十日饗宴ヲ被為行候ニ付テハ在京奏任官ニ特ニ酒饌料下賜ノ旨通知ノ件

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監物殿知行所山代里村瀧右衛門と申者、唐津呼子之者ヘ竹木売渡候付、沢口切符佐嘉へ自此御方ヨリ相願候事

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皇太子殿下御成年式行ハセラルヽニ付当日諸官員ニ休暇ヲ賜フ旨告示相成候処御都合ニ依リ期日ニ於テ行ハセラレサル事ト相成候ニ付同告示ハ自然取消サレタルモノト承知相成度旨通牒ノ件

皇太子殿下御成年式行ハセラルヽニ付当日諸官員ニ休暇ヲ賜フ旨告示相成候処御都合ニ依リ期日ニ於テ行ハセラレサル事ト相成候ニ付同告示ハ自然取消サレタルモノト承知相成度旨通牒ノ件

明治二十七年十二月九日上野祝捷大会ニ畏くも 皇太子殿下 博物館庭前ニ於テ川上一座の日清戦争我が猛将勇士龍戦虎闘の演劇を御覧の図

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明治二十七年十二月九日上野祝捷大会ニ畏くも皇太子殿下博物館庭前ニ於て川上一座の日清戦争我が猛将勇士竜戦虎闘の演劇を御覧の図

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(右)「東京自慢名ぶつ会」「林伯知」「ビラ辰」「呉服太物商 竺仙郎店 金屋英次郎」「古代臈纈模染」「新はし 松伊東小ふみ 松本こと」「見立模様白鬚の翁格子」(左)「東京自慢名物会」「三笑亭芝樂」「ビラ辰」「会席御料理 扇芳亭」「新橋からす森 山澤屋政治 秋山つた」「見立模様芝浦そめ」

(右)「東京自慢名ぶつ会」「林伯知」「ビラ辰」「呉服太物商 竺仙郎店 金屋英次郎」「古代臈纈模染」「新はし 松伊東小ふみ 松本こと」「見立模様白鬚の翁格子」(左)「東京自慢名物会」「三笑亭芝樂」「ビラ辰」「会席御料理 扇芳亭」「新橋からす森 山澤屋政治 秋山つた」「見立模様芝浦そめ」

「一世一代口上 中村歌右衛門」「これより一世一代の口上を申上奉り升る 私義去冬顔見世は京都の約束致升たる所 病気にてアノ方を行申升て二の替り狂言差出し升たる所 又々病気さし起り其上江戸表にて九化の所作事仕升たる所 左りの足をけが致しあの方にてはなんばと申所せ(ひ)なく其まゝおして相勤升る 其怪我か折/\起り升て狂言中ばにて足の工合そこね升る事厶り升るなれども只今にては私功者になり升てそくざにはめ升れば又々狂言も出来升なれども 右病気故芝居之休日はあれこれ名医を頼升て養生致升る所 表よりはどふじや/\と尋ねに参り升る 親類ども打寄り是てはどふも表へすまず傍ばい共へも相済ぬゆへ なんで有ふと舞台を引くがよいと申升る 私も五十には二三年も間も厶り升 中/\一世一代致したふは厶り升んなれどもこう病気/\では所詮勤らぬ事なれば先中山文七殿五十才にて一世一代致され升たが役者共のよい手本て厶り升る 夫をまねび升て中村鶴介に三番叟の役を相勤させ升る これは文七殿一世一代の時泉川☆蔵中芝居より参り三番叟役相つとめ升たるかたを取升て厶り升る 私も首尾よふ舞納め升て江戸表におり升る関三十郎 此者は中村歌助と申升てわたくし弟子に厶り升る 此者に歌右衛門をゆづり 鶴助に芝翫をゆづり升て私は加賀屋市兵衛と改め素人に相成升たなれば市兵衛どふじやかはる事はないと御尋下さりませ 鰕十郎は幼少より兄弟ぶんに相成をり升れは此度一世一代仕升るに付なぜ相談はしてくれぬと涙こぼしていふてくれ升 中/\私も引たふは厶り升んなれ共病気故の事で厶り升る イヤ/\あれはあのやうに一世一代して又二三年の内に出るで有ふと思召御方も厶り升ふが中々大坂へは出升ぬ たびへは弐三年も参るつもりで厶り升 又々出るやうなさやうなみじゆくな私でも厶り升ん私弟子四十人から厶り升れは女形の□□は三光歌六におさとうし升るで厶り升る 是におり升る忰共又は弟子共の義御頼申度は厶り升れと余り長事申上ケまするとかへつて御たいくつと何事も申升ん 今月一ぱい仕り升れはあれも幼少よりなしみの事じやかつは大坂のぐわいぶんじやとおふせ合され升てたゞヱイトウ/\と御見物の程おそれなからすみからすみまでずいと奉希申上升る

「一世一代口上 中村歌右衛門」「これより一世一代の口上を申上奉り升る 私義去冬顔見世は京都の約束致升たる所 病気にてアノ方を行申升て二の替り狂言差出し升たる所 又々病気さし起り其上江戸表にて九化の所作事仕升たる所 左りの足をけが致しあの方にてはなんばと申所せ(ひ)なく其まゝおして相勤升る 其怪我か折/\起り升て狂言中ばにて足の工合そこね升る事厶り升るなれども只今にては私功者になり升てそくざにはめ升れば又々狂言も出来升なれども 右病気故芝居之休日はあれこれ名医を頼升て養生致升る所 表よりはどふじや/\と尋ねに参り升る 親類ども打寄り是てはどふも表へすまず傍ばい共へも相済ぬゆへ なんで有ふと舞台を引くがよいと申升る 私も五十には二三年も間も厶り升 中/\一世一代致したふは厶り升んなれどもこう病気/\では所詮勤らぬ事なれば先中山文七殿五十才にて一世一代致され升たが役者共のよい手本て厶り升る 夫をまねび升て中村鶴介に三番叟の役を相勤させ升る これは文七殿一世一代の時泉川☆蔵中芝居より参り三番叟役相つとめ升たるかたを取升て厶り升る 私も首尾よふ舞納め升て江戸表におり升る関三十郎 此者は中村歌助と申升てわたくし弟子に厶り升る 此者に歌右衛門をゆづり 鶴助に芝翫をゆづり升て私は加賀屋市兵衛と改め素人に相成升たなれば市兵衛どふじやかはる事はないと御尋下さりませ 鰕十郎は幼少より兄弟ぶんに相成をり升れは此度一世一代仕升るに付なぜ相談はしてくれぬと涙こぼしていふてくれ升 中/\私も引たふは厶り升んなれ共病気故の事で厶り升る イヤ/\あれはあのやうに一世一代して又二三年の内に出るで有ふと思召御方も厶り升ふが中々大坂へは出升ぬ たびへは弐三年も参るつもりで厶り升 又々出るやうなさやうなみじゆくな私でも厶り升ん私弟子四十人から厶り升れは女形の□□は三光歌六におさとうし升るで厶り升る 是におり升る忰共又は弟子共の義御頼申度は厶り升れと余り長事申上ケまするとかへつて御たいくつと何事も申升ん 今月一ぱい仕り升れはあれも幼少よりなしみの事じやかつは大坂のぐわいぶんじやとおふせ合され升てたゞヱイトウ/\と御見物の程おそれなからすみからすみまでずいと奉希申上升る

Last Updated: 2025-07-22T01:06:05

Uploaded: 2025-07-23