書状(野辺地・田名部境川橋、奥内・今泉川橋の掛け替え費用未納分上納方に付)

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記(小学課金、橋掛替入費等割付)

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絵ハガキ(陸奥大鰐蔵舘両温泉場の境堺平川上流を望む)

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[紀泉国境絵図](泉州鳥取庄十一ヶ村と紀州直川村山論相済取替シ絵図)

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東置賜郡中山村新道ノ内字掛ケ入リ石ノ下ヨリ大川ニ架スル境橋ヲ南ニ望ム図

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山陽電鉄須磨境川間愈よ線路附替へ : 須磨浦公園には新停留場設置 : 工費九十万円で出願

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寺院建物絵図並田畑石高帳 外ニ寺院掛書類(明治元年)《浄土宗田畑山林并境内絵図》/小川村長泉寺絵図

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「[巨泉おもちゃ絵集 第二十集 第九十六図][大阪辺ノ振槌」「秋田八橋人形]」 「川崎巨泉おもちや絵集」「はしがき」「絵集完成の御挨拶」「他」

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寺院建物絵図並田畑石高帳 外ニ寺院掛書類(明治元年)《御府下臨済宗門中境内建物絵図并米麦収納石高調子之事(明治元年12月19日 常勝寺中山寺光明寺高源寺から度会府宛)》/二見西村法泉菴

寺院建物絵図並田畑石高帳 外ニ寺院掛書類(明治元年)《御府下臨済宗門中境内建物絵図并米麦収納石高調子之事(明治元年12月19日 常勝寺中山寺光明寺高源寺から度会府宛)》/二見西村法泉菴

寺院建物絵図並田畑石高帳 外ニ寺院掛書類(明治元年)《御府下臨済宗門中境内建物絵図并米麦収納石高調子之事(明治元年12月19日 常勝寺中山寺光明寺高源寺から度会府宛)》/田尻村龍泉寺

寺院建物絵図並田畑石高帳 外ニ寺院掛書類(明治元年)《御府下臨済宗門中境内建物絵図并米麦収納石高調子之事(明治元年12月19日 常勝寺中山寺光明寺高源寺から度会府宛)》/田尻村龍泉寺

寺院建物絵図並田畑石高帳 外ニ寺院掛書類(明治元年)《御府下臨済宗門中境内建物絵図并米麦収納石高調子之事(明治元年12月19日 常勝寺中山寺光明寺高源寺から度会府宛)》/川崎町南栄寺

寺院建物絵図並田畑石高帳 外ニ寺院掛書類(明治元年)《御府下臨済宗門中境内建物絵図并米麦収納石高調子之事(明治元年12月19日 常勝寺中山寺光明寺高源寺から度会府宛)》/川崎町南栄寺

寺院建物絵図並田畑石高帳 外ニ寺院掛書類(明治元年)《御府下臨済宗門中境内建物絵図并米麦収納石高調子之事(明治元年12月19日 常勝寺中山寺光明寺高源寺から度会府宛)》/川崎町宝珠院

寺院建物絵図並田畑石高帳 外ニ寺院掛書類(明治元年)《御府下臨済宗門中境内建物絵図并米麦収納石高調子之事(明治元年12月19日 常勝寺中山寺光明寺高源寺から度会府宛)》/川崎町宝珠院

寺院建物絵図並田畑石高帳 外ニ寺院掛書類(明治元年)《御府下臨済宗門中境内建物絵図并米麦収納石高調子之事(明治元年12月19日 常勝寺中山寺光明寺高源寺から度会府宛)》/川崎町十輪寺

寺院建物絵図並田畑石高帳 外ニ寺院掛書類(明治元年)《御府下臨済宗門中境内建物絵図并米麦収納石高調子之事(明治元年12月19日 常勝寺中山寺光明寺高源寺から度会府宛)》/川崎町十輪寺

「一世一代口上 中村歌右衛門」「これより一世一代の口上を申上奉り升る 私義去冬顔見世は京都の約束致升たる所 病気にてアノ方を行申升て二の替り狂言差出し升たる所 又々病気さし起り其上江戸表にて九化の所作事仕升たる所 左りの足をけが致しあの方にてはなんばと申所せ(ひ)なく其まゝおして相勤升る 其怪我か折/\起り升て狂言中ばにて足の工合そこね升る事厶り升るなれども只今にては私功者になり升てそくざにはめ升れば又々狂言も出来升なれども 右病気故芝居之休日はあれこれ名医を頼升て養生致升る所 表よりはどふじや/\と尋ねに参り升る 親類ども打寄り是てはどふも表へすまず傍ばい共へも相済ぬゆへ なんで有ふと舞台を引くがよいと申升る 私も五十には二三年も間も厶り升 中/\一世一代致したふは厶り升んなれどもこう病気/\では所詮勤らぬ事なれば先中山文七殿五十才にて一世一代致され升たが役者共のよい手本て厶り升る 夫をまねび升て中村鶴介に三番叟の役を相勤させ升る これは文七殿一世一代の時泉川☆蔵中芝居より参り三番叟役相つとめ升たるかたを取升て厶り升る 私も首尾よふ舞納め升て江戸表におり升る関三十郎 此者は中村歌助と申升てわたくし弟子に厶り升る 此者に歌右衛門をゆづり 鶴助に芝翫をゆづり升て私は加賀屋市兵衛と改め素人に相成升たなれば市兵衛どふじやかはる事はないと御尋下さりませ 鰕十郎は幼少より兄弟ぶんに相成をり升れは此度一世一代仕升るに付なぜ相談はしてくれぬと涙こぼしていふてくれ升 中/\私も引たふは厶り升んなれ共病気故の事で厶り升る イヤ/\あれはあのやうに一世一代して又二三年の内に出るで有ふと思召御方も厶り升ふが中々大坂へは出升ぬ たびへは弐三年も参るつもりで厶り升 又々出るやうなさやうなみじゆくな私でも厶り升ん私弟子四十人から厶り升れは女形の□□は三光歌六におさとうし升るで厶り升る 是におり升る忰共又は弟子共の義御頼申度は厶り升れと余り長事申上ケまするとかへつて御たいくつと何事も申升ん 今月一ぱい仕り升れはあれも幼少よりなしみの事じやかつは大坂のぐわいぶんじやとおふせ合され升てたゞヱイトウ/\と御見物の程おそれなからすみからすみまでずいと奉希申上升る

「一世一代口上 中村歌右衛門」「これより一世一代の口上を申上奉り升る 私義去冬顔見世は京都の約束致升たる所 病気にてアノ方を行申升て二の替り狂言差出し升たる所 又々病気さし起り其上江戸表にて九化の所作事仕升たる所 左りの足をけが致しあの方にてはなんばと申所せ(ひ)なく其まゝおして相勤升る 其怪我か折/\起り升て狂言中ばにて足の工合そこね升る事厶り升るなれども只今にては私功者になり升てそくざにはめ升れば又々狂言も出来升なれども 右病気故芝居之休日はあれこれ名医を頼升て養生致升る所 表よりはどふじや/\と尋ねに参り升る 親類ども打寄り是てはどふも表へすまず傍ばい共へも相済ぬゆへ なんで有ふと舞台を引くがよいと申升る 私も五十には二三年も間も厶り升 中/\一世一代致したふは厶り升んなれどもこう病気/\では所詮勤らぬ事なれば先中山文七殿五十才にて一世一代致され升たが役者共のよい手本て厶り升る 夫をまねび升て中村鶴介に三番叟の役を相勤させ升る これは文七殿一世一代の時泉川☆蔵中芝居より参り三番叟役相つとめ升たるかたを取升て厶り升る 私も首尾よふ舞納め升て江戸表におり升る関三十郎 此者は中村歌助と申升てわたくし弟子に厶り升る 此者に歌右衛門をゆづり 鶴助に芝翫をゆづり升て私は加賀屋市兵衛と改め素人に相成升たなれば市兵衛どふじやかはる事はないと御尋下さりませ 鰕十郎は幼少より兄弟ぶんに相成をり升れは此度一世一代仕升るに付なぜ相談はしてくれぬと涙こぼしていふてくれ升 中/\私も引たふは厶り升んなれ共病気故の事で厶り升る イヤ/\あれはあのやうに一世一代して又二三年の内に出るで有ふと思召御方も厶り升ふが中々大坂へは出升ぬ たびへは弐三年も参るつもりで厶り升 又々出るやうなさやうなみじゆくな私でも厶り升ん私弟子四十人から厶り升れは女形の□□は三光歌六におさとうし升るで厶り升る 是におり升る忰共又は弟子共の義御頼申度は厶り升れと余り長事申上ケまするとかへつて御たいくつと何事も申升ん 今月一ぱい仕り升れはあれも幼少よりなしみの事じやかつは大坂のぐわいぶんじやとおふせ合され升てたゞヱイトウ/\と御見物の程おそれなからすみからすみまでずいと奉希申上升る

最終更新日:

登録日: 2021-09-21